石和いさわ)” の例文
猿橋から馬で逸走した一人は、石和いさわの代官所で捕えられていた。太腿ふとももに銃傷があり、そこから多量に出血して、弱っていたのだろう。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
石和いさわの町を白沙のちまたに化して、多くの人死を生じさせた洪水は、この山奥に入ると、いかばかりひどく荒れたかということが解る。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
小仏から甲府に至るまでの宿場宿場——上野原、駒飼こまがい、勝沼、石和いさわなどの町で、彼の目にふれ、彼をしてここへ導いてきたのは
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女は江戸へ出ようとして、信州から甲州へさしかかって石和いさわ宿しゅくまで来た時に、風邪をこじらせて高熱にたおれた。
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ある日千代さんは、石和いさわという町に片づいている姉のもとから突然電報でよび寄せられた。千代さんは大急ぎで他所よそゆきの晴衣はれぎを着て出かけて行った。
「同六年同国石和に於て同所小林総右衛門の女を妻とす。」甲斐国石和いさわの小林氏のぢよは名を常と云つた。当時瑞英二十四歳、常は寛政六年生で十六歳であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
野州路やしゅうじ越後路えちごじはその裏道で甲斐かい石和いさわ武蔵むさし石浜いしはまは横路である。富山や京都は全く別系統であって、富山が八犬の発祥地であるほかには本筋には何の連鎖もない。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
舌を捲いている米友をお角が発見したのは、おそらく甲斐の国石和いさわの袖切坂以来のことでありましょう。あの時にお角は、米友を発見して、転んではならない袖切坂の途中で転びました。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
石和いさわの貸元源太郎というのが
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
草いきれの道を泳ぐように急いで、石和いさわ街道の並木へ出ました。そしてまた少し城下の方へ逆戻りをして来る。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十月二日には甲斐国石和いさわに於て、瑞英の外舅ぐわいきう小林総右衛門が死んだ。瑞英は八日に石和へ往つて、二十九日に江戸に還つた。妻常は定て同行したことであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
曳手ひくて単節ひとよ荒芽山あらめやまを落ちる時も野武士に鉄砲で追われた、網苧あしお鵙平もずへい茶屋にも鉄砲が掛けてあった、甲斐の石和いさわの山の中で荘官木工作むくさく泡雪奈四郎あわゆきなしろうに鉄砲で射殺うちころされた。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
あとを慕って送って来るムク犬を無理に追い返した米友は、甲州の本街道はまた関所や渡し場があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと、甲府を飛び出して石和いさわまで来ました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
また十字路になる石和いさわ街道の方角にも、先の姿が見当らないので、ふたたびあとへ立ち返って来ました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武州八王子の宿しゅくから小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分おいわけを右にとってくこと十三里、武州青梅おうめの宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和いさわへ出る
「八幡村というのは、石和いさわ塩山えんざんに近いところではないか」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「甲斐の国石和いさわ川まで」
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)