溝口みぞぐち)” の例文
奥さまおこよ様のご父君松坂兵衛ひょうえ様とおっしゃるおかたが、国もと新発田の溝口みぞぐち藩に、やはりご祐筆ゆうひつとして長らくお仕えでござりましたゆえ
山村は甲州屋から三町あまりはなれているところに古く住んで、常に八九十から百人あまりの弟子を教えていて、書流は江戸時代に最も多い溝口みぞぐち流であった。
半七捕物帳:35 半七先生 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それをいだのが忠明以来の高弟亀井平右衛門忠雄ただおで、これがまた伊藤を名乗る。忠雄の次が新たに溝口みぞぐち派の名を残した人、溝口五左衛門正勝というものであります。
こんど新発田しばた溝口みぞぐち家へ召出され、妻子もあとから来るという。浪人生活からぬけ出せたことがよほどうれしいのだろう、茶を味わうようすまでいかにもたのしそうに見えた。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
陸軍大将りくぐんたいしょうになった本間ほんまさんなんか三人扶持ぶち足軽あしがるだった。実業界ではばをきかしている綾部あやべさんがせいぜい五十石さ。溝口みぞぐち叔母おばさんのところが七十石。おまえのおかあさんの里が百石
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
萩原さんとこのお節ちゃんに、お米も二升もらったり、画描の溝口みぞぐちさんは、折角北海道から送って来たと云う餅を、風呂敷に分けてくれたり、指輪を質屋へ持って行ってくれたりした。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
小供の時から物を彫ることが好きで神童のようにいわれていたのを県の書記官のはた氏に見出みいだされ、その人から博物館長の股野氏にたのみ、同氏より溝口みぞぐち美術部長を介して私の門下となったのです。
調とゝのへ飯田町なる支配宮崎内記殿のやしきへと急ぎしかば程なく宮崎殿のやしきいたり同家の用人溝口みぞぐち三右衞門に面會めんくわいして右の段委細申し入れ御屆おんとゞけ書面は主税之助持參ぢさん致すべきの處病氣に付き拙者より差出し候むね申しのべければ三右衞門是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
いまひとり加藤主税ちからというは溝口みぞぐち派で、有名な道場荒し、江戸中に響いていた達者で剛力ごうりきです。