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淡路町
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あわじちょう
ふりがな文庫
“
淡路町
(
あわじちょう
)” の例文
敬太郎も
壺入
(
つぼいり
)
のビスケットを見棄ててその
後
(
あと
)
に従がった。二人は
淡路町
(
あわじちょう
)
まで来てそこから
駿河台下
(
するがだいした
)
へ抜ける細い横町を曲った。
彼岸過迄
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
そう言ってお銀は髪など撫でつけながら、病気が恢復期へ向いたころに、笹村が買物のついでに、
淡路町
(
あわじちょう
)
の方で求めて来た下駄をおろして、急いで出て行った。
黴
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
右へ堀端を
護持院ヶ原
(
ごじいんがはら
)
について神田橋手前本多伊勢守屋敷の前通を右へ、現在の
錦町
(
にしきちょう
)
通を北に進み、小川町に出で、稲葉丹後守屋敷前の通を左へ、現在の
淡路町
(
あわじちょう
)
通を過ぎ
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
小島成斎は藩主阿部
正寧
(
まさやす
)
の世には、
辰
(
たつ
)
の
口
(
くち
)
の老中屋敷にいて、安政四年に家督相続をした
賢之助
(
けんのすけ
)
正教
(
まさのり
)
の世になってから、昌平橋
内
(
うち
)
の上屋敷にいた。今の神田
淡路町
(
あわじちょう
)
である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
本郷に移り下谷に移り、下谷
御徒町
(
おかちまち
)
へ移り、芝
高輪
(
たかなわ
)
へ移り、
神田
(
かんだ
)
神保町
(
じんぼうちょう
)
に行き、
淡路町
(
あわじちょう
)
になった。其処で父君を失ったので、その秋には悲しみの残る家を離れ本郷
菊坂町
(
きくざかちょう
)
に住居した。
樋口一葉
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
▼ もっと見る
『小日本』と関係深くなりて後君は
淡路町
(
あわじちょう
)
に下宿せしかば余は社よりの帰りがけに君の下宿を訪ひ画談を聞くを
楽
(
たのしみ
)
とせり。君いふ、今は食ふ事に困らぬ身となりしかば十分に勉強すべしと。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
「
淡路町
(
あわじちょう
)
からの使いで、例のものが、
笠森
(
かさもり
)
近くのさる下屋敷へ入ったことを突止めましたから、御足労ながら至急こちらまでお出かけ下さい。笠森稲荷の水茶屋でお待ち申すという口上でございます」
顎十郎捕物帳:02 稲荷の使
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
と同時にまたお君さんの眼にはまるで「
不如帰
(
ほととぎす
)
」を読んだ時のような、感動の涙が浮んできた。この感動の涙を
透
(
とお
)
して見た、小川町、
淡路町
(
あわじちょう
)
、須田町の往来が、いかに美しかったかは問うを待たない。
葱
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
末造は又どこを当ともなしに、
淡路町
(
あわじちょう
)
から
神保町
(
じんぼうちょう
)
へ、何か急な用事でもありそうな様子をして歩いて行く。今川小路の少し手前に御茶漬と云う看板を出した家がその頃あった。
雁
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
“淡路町”の解説
淡路町(あわじちょう)は、兵庫県の南部、瀬戸内海に浮かぶ淡路島北端にかつて存在した町。津名郡に属していた。
(出典:Wikipedia)
淡
常用漢字
中学
部首:⽔
11画
路
常用漢字
小3
部首:⾜
13画
町
常用漢字
小1
部首:⽥
7画
“淡路”で始まる語句
淡路
淡路島
淡路守
淡路国
淡路流
淡路君
淡路坂
淡路焼
淡路結
淡路宮