母公ぼこう)” の例文
功名富貴こうめいふうきはいふにらず。吾いま母公ぼこう慈愛めぐみをかうむり、四八賢弟けんていゐやを納むる、何ののぞみかこれに過ぐべきと、よろこびうれしみつつ、又日来ひごろをとどまりける。
浪人してもいさゝか田地や山を購求かいもとめて、お妹御に不自由をさせるような事は致さん積りで、事によれば母公ぼこうまで共々お引取り申しい心得でおる程でござるから
「いつかは……と。それは母公ぼこうが仰っしゃっておいでたのか」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つうじければ大隅守殿早速對面あり此時越前守には率爾そつじながら早速伺ひ申度は今より廿三年以前の御召使めしつかひにさはと申女中の御座候ひしやときくに大隅守殿申さるゝは親將監三年以前に病死びやうし致し私し家督仕つり候へども當年廿五歳なれば廿三年あとの事は一かうわきまへ申さずと答へらる越前守推返おしかへして然らば御母公ぼこうには
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
母公ぼこうによくつかへ給へとて、座を立つと見しが、かき消えて見えずなりにける。