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日本堤
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にほんづつみ
ふりがな文庫
“
日本堤
(
にほんづつみ
)” の例文
彼は
寛文
(
かんぶん
)
三年の九月、
日本堤
(
にほんづつみ
)
で唐犬権兵衛等の待伏せに逢った時に、しんがりになって手痛く働いて、なますのように斬りきざまれて死んだ。
番町皿屋敷
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
巡査はおかしかったと見えて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに
日本堤
(
にほんづつみ
)
の分署まで来て下さい。——盗難品は何と何でしたかね」
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
この山の土をくずして
日本堤
(
にほんづつみ
)
を築いた時にあらかたは削りとられて、今では知る人もなくなっていると思っていました。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仲之町夜桜の
盛
(
さかり
)
とても彼は貧しげなる
鱗葺
(
こけらぶき
)
の屋根をば
高所
(
こうしょ
)
より見下したる
間
(
あいだ
)
に桜花の
梢
(
こずえ
)
を示すに
止
(
とど
)
まり、
日本堤
(
にほんづつみ
)
は雪に
埋
(
うも
)
れし低き人家と行き悩む駕籠の
往来
(
おうらい
)
に
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
観音堂から堂へ向って右手の方は、
馬道
(
うまみち
)
、それから
田町
(
たまち
)
、田町を突き当ると
日本堤
(
にほんづつみ
)
の
吉原土手
(
よしわらどて
)
となる。
幕末維新懐古談:11 大火以前の雷門附近
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
▼ もっと見る
私の来た時分には長男は家を出て
日本堤
(
にほんづつみ
)
で洋服屋を営み、この生みの母と一緒に暮していた。
何が私をこうさせたか:――獄中手記――
(新字新仮名)
/
金子ふみ子
(著)
「どこって
日本堤
(
にほんづつみ
)
界隈
(
かいわい
)
さ。吉原へも
這入
(
はい
)
って見た。なかなか
盛
(
さかん
)
な所だ。あの鉄の門を
観
(
み
)
た事があるかい。ないだろう」
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
昭和二年の冬、
酉
(
とり
)
の
市
(
いち
)
へ行った時、
山谷堀
(
さんやぼり
)
は既に埋められ、
日本堤
(
にほんづつみ
)
は丁度取崩しの工事中であった。
里の今昔
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
そのむかしは御用木として
日本堤
(
にほんづつみ
)
に多く
栽
(
う
)
えられて、
山谷
(
さんや
)
がよいの若い男を
忌
(
いや
)
がらせたという
漆
(
うるし
)
の木の
香
(
にお
)
いがここにも微かに残って、そこらには漆のまばらな森があった。
箕輪心中
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「
日本堤
(
にほんづつみ
)
。一つ
唄
(
や
)
らんか」
脚
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
吉原の
遊廓外
(
くるわそと
)
にあった
日本堤
(
にほんづつみ
)
の取崩されて平かな道路になったのも同じ理由からであろう。
水のながれ
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
それでね、下げ渡したら
請書
(
うけしょ
)
が入るから、
印形
(
いんぎょう
)
を忘れずに持っておいでなさい。——九時までに来なくってはいかん。
日本堤
(
にほんづつみ
)
分署
(
ぶんしょ
)
です。——浅草警察署の
管轄内
(
かんかつない
)
の日本堤分署です。
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
“日本堤”の解説
日本堤(にほんづつみ)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は日本堤一丁目および日本堤二丁目。郵便番号は111-0021。地名の元となった「日本堤」についても記述する。
(出典:Wikipedia)
日
常用漢字
小1
部首:⽇
4画
本
常用漢字
小1
部首:⽊
5画
堤
常用漢字
中学
部首:⼟
12画
“日本堤”で始まる語句
日本堤橋
日本堤署