手越てごし)” の例文
先陣は蒲原かんばら、富士川に進み、後陣はまだ手越てごし宇津谷うつのやにひかえていた。大将軍維盛は侍大将の上総守忠清を召すといった。
維盛これもり忠度ただのりを大将とする平家の大軍は、頼朝が、政子のため大急ぎで建築した仮の館へ移った二日前の十三日に、駿河国の手越てごし宿しゅくに着いていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何でも灸の話らしく、手越てごしは万病に利き、桜井戸さくらいど瘍疔ようちょうと来ると天下一品だとか言った。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そんぢやはなしはどうゆ姿なりにもしてかなくつちやしやうあんめえな、れまあはなしはしてつから、どつちがどうのかうのつちつたつてやうねえし、まさかおめえ手越てごししたな爺樣ぢさまだつちつたつて
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
手越てごしヶ原の官道に添って、両側の並木を綴る賑やかな一駅は手越ノ宿しゅく。晩の泊りはそこときまった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あれは、手越てごしの長者の娘で、このあたりでも評判の娘でございます。
何をふり払おうとしたのか、または独り合点するところでもあったのか、それからは急に足を早め、日ならずして、先に落ちて行った主君直義の人数に、手越てごし附近で追いついた。
どうして昂然こうぜんとよろこべるのか。しかしもう自己を疑うゆとりはない。勝つことだけがすべてであった。陣は駿河の手越てごしに入った。すると駅路うまやじでの噂だった。——直義はまだ越前にいて動いていない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)