天慶てんぎょう)” の例文
思えば危うい限りだった小柳生の城も——天慶てんぎょう以来つづいて来た柳生ノ庄七千石の領土も——ために、計らずも無事なるを得た。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎょうの昔、平将門たいらのまさかどが亡びた時に、彼は十六歳の美しい娘を後に残して、田原藤太たわらとうたの矢先にかかった。娘は陸奥みちのくに落ちて来て、尼となった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
六十一代朱雀すざく天皇天慶てんぎょう七年秩父別当武光同其子七郎武綱云々うんぬんという文見え、また天慶七年武光奏し奉りて勅をこうむり五条天皇(疑わし)少彦名命すくなひこなのみことを蔵王権現の宮に合せまつりて云々と見えたり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
天慶てんぎょう六年三月七日に三十八歳を以て歿した。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
天慶てんぎょうのむかし、この東国で平将門たいらのまさかどが乱を起した時、人のわるい藤原秀郷ひでさとは、わざと彼の人物を視てやろうと、加勢といつわって会いに行った。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ翌年は、天慶てんぎょう元年(改元)である。いわゆる天慶ノ乱の、それが前兆であったよと、後にはみな、思い合せた事であった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎょうの昔——つくり話にちがいないが——たいら将門まさかどと藤原純友すみともというどっちも野放しの悍馬かんばみたいな野望家が
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎょう年間(将門ノ乱の年)この辺で猛威をふるった藤原純友すみともの根拠地は、伊予沖の日振島であったという。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その家格からいっても、遠く天慶てんぎょう年代から柳生ノ庄の豪族として知られ、しかも将軍家の師ではあり、一介の野人にすぎない武蔵とは、比較にならない権門の出である。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この自然下にあった特性が、史上、将門がよび起したものといわれて来たいわゆる“天慶てんぎょうらん”なるものを、ひどく凄惨なものにしたに違いないことは、疑いの余地もない。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よろしくこんどは天慶てんぎょう承平の例にならうべきであるというところから、特に、義貞へは節刀せっとうを賜わり、やがて、たびの万歳のとなえのうちに、華々はなばなと、彼のすがたは大内を退出してきた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎょう年中、平将門たいらのまさかどが、関八州にあばれた頃は、ここに源経基つねもと対峙たいじしていたことがあり、またそれから八十年後の長元年間には、平忠恒ただつねが叛乱に際し、源頼信は征夷大将軍に補せられて
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし天慶てんぎょうらんに、将門まさかどの猛威に抗し難くなった軍勢が、彼の叔父にあたる者の木像を輿に乗せて陣頭にかつぎ出し、叔父に矢を射るかと将門まさかど威嚇いかくして追いくずしたということは聞きましたが
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎょう年間の将門まさかどの乱。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)