堀河ほりかわ)” の例文
そうとも知らず、基房は、普段よりも、行列を美々しく飾り立て、しずしずと、堀河ほりかわのあたりまでやってきた時であった。
その書遺かきのこしたものなどを見れば真実正銘しょうみょうの漢儒で、こと堀河ほりかわ伊藤東涯いとうとうがい先生が大信心だいしんじんで、誠意誠心、屋漏おくろうじずということばか心掛こころがけたものと思われるから
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ところが京都方にも、公武合体の意見をいだいた岩倉具視いわくらともみ久我建通くがたてみち千種有文ちぐさありぶみ富小路敬直とみのこうじひろなおなぞの有力な人たちがあって、この人たちが堀河ほりかわ典侍てんじを動かした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それで一寸法師いっすんぼうしのおじいさんが、堀河ほりかわ中納言ちゅうなごんというえらい人で、むじつのつみ田舎いなかわれて出来できた子が、一寸法師いっすんぼうしのおとうさんで、それからおかあさんという人も
一寸法師 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
二十歳ではじめて百首歌を詠じたが、二十一で更に『堀河ほりかわ百首』の題で百首を詠んだ。このとき右大臣兼実かねざね、俊恵、寂蓮、隆信の絶讃を博した。『千載集』には八首採られた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
祖父正盛は、白河、堀河ほりかわ鳥羽とばの三朝につかえ
天子てんしさまはさっそく、一寸法師いっすんぼうしくらいをおさずけになって、堀河ほりかわ少将しょうしょうとおばせになりました。堀河ほりかわ少将しょうしょうは、あらためて三条宰相殿さんじょうさいしょうどののおゆるしをうけて、おひめさまをおよめさんにもらいました。
一寸法師 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)