光秀みつひで)” の例文
……ええ、その方どもでは大勢もわかるまい。光秀みつひではおらぬかッ。光秀、戦場なれば、急いで、これへ呼びもどせ。——光秀を呼べッ
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の本能寺にしいせらるゝ、光秀みつひで小栗栖をぐるすに刺さるゝ、義貞よしさだの敗績に於ける、義経の東走に於ける、皆罪過なくんばあらず。
罪過論 (新字旧仮名) / 石橋忍月(著)
ねえ、お前さん、この雨の工合は、九女八うちの芸のような——地震加藤とか光秀みつひでをやる時の——底光りがしてるじゃねえか。
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
つづいて十一月には一番目『太功記たいこうき馬盥ばだらいより本能寺ほんのうじ討入まで団洲だんしゅう光秀みつひで菊五郎春永はるながなり中幕団洲の法眼ほうげんにて「菊畑きくばたけ」。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
十兵衛も、姓は同じ明智で、名のりは、光秀みつひでといった。叔父光安のやしきに寄食して、ひたすら学問に没頭していた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれはよく周馬やお十夜の安価な女色漁にょしょくあさりを軽蔑けいべつして、討幕のきょの成功を信じ、事なるにおよんでは、何万石を夢みていた小なる光秀みつひでみたいな男だった。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど十兵衛光秀みつひでは、兄の子である。兄の下野守光綱しもつけのかみみつつなが、自分に託して世を去った明智家の遺孤いこなのだ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この年六月二日に、右大臣織田信長うだいじんおだのぶながは、反逆者はんぎゃくしゃ光秀みつひでのために、本能寺であえなき最期さいごをとげた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうちに——天正十年五月、上洛中の主君信長が、叛臣はんしん光秀みつひでのために、本能寺ほんのうじで討たれた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、その光秀みつひでじしん、悪因悪果あくいんあっか土冠どこう竹槍たけやりにあえない最期さいごをとげてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光秀みつひでの活躍している丹波たんば方面の戦線。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)