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仙洞
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せんとう
ふりがな文庫
“
仙洞
(
せんとう
)” の例文
「きょうの昼中より、あわただしゅう、院の内外に軍兵を催されておる
仙洞
(
せんとう
)
のさまを、相国には、なんと
御覧
(
ごろう
)
ぜられまするか」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『
正治
(
しょうじ
)
百首』によって後鳥羽院の
仙洞
(
せんとう
)
に昇殿を許された数々の歌人のうちで、定家は光っていた。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
これを持ち伝えておるからは、お前の家柄に
紛
(
まぎ
)
れはない。
仙洞
(
せんとう
)
がまだ
御位
(
みくらい
)
におらせられた
永保
(
えいほう
)
の初めに、国守の
違格
(
いきゃく
)
に連座して、筑紫へ左遷せられた
平正氏
(
たいらのまさうじ
)
が嫡子に相違あるまい。
山椒大夫
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
『弓馬秘伝聞書』に
祝言
(
しゅうげん
)
の供に猿皮の
空穂
(
うつぼ
)
を忌む。『閑窓自語』に、元文二年春、出処不明の大猿出でて、
仙洞
(
せんとう
)
、二条、近衛諸公の邸を徘徊せしに、
中御門
(
なかみかど
)
院崩じ諸公も
薨
(
こう
)
じたとあり。
十二支考:07 猴に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
支那の
仙洞
(
せんとう
)
を忍ばせる白鳥の
羽箒
(
はぼうき
)
なぞ……そんなものは一つ残らず、未亡人が入院した昨夜から、
昨日
(
きのう
)
の昼間にかけて運び込まれたものに相違ないが、トテモ病院の中とは思えない
豪奢
(
ごうしゃ
)
ぶりで
一足お先に
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
▼ もっと見る
ただ単に“
仙洞
(
せんとう
)
”とも、正しくは“院の御所”ともよばれていた。——三条東のひろい一地域、鳥羽上皇のお住居をである。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
仙洞
(
せんとう
)
——」さては
参内
(
さんだい
)
であったのかと彼は初めて気がついた。仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。六条からはそう遠くはない。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——
仙洞
(
せんとう
)
のご帰還までに」と、最初のうちは、躍起になって、
焦心
(
あせ
)
ったのである。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
身を
鎧
(
よろ
)
って来た張りあいもないほどである。——が、
仙洞
(
せんとう
)
へ来てみると、武者所の一門はひらかれ、一
殿
(
でん
)
の
遠侍
(
とおざむらい
)
の
間
(
ま
)
、また、
木
(
こ
)
の
間
(
ま
)
もる
寝殿
(
しんでん
)
の灯など、常ならぬ気配はどこやらにある。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
兼好も、かつては後宇多の
仙洞
(
せんとう
)
に北面として近侍していたことがあったからだ。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
仙洞
(
せんとう
)
の
御気色
(
みけしき
)
に
諂
(
へつら
)
い、武功に誇り、頼朝にも計らわず、五位の
尉
(
じょう
)
に昇るなど、身のほどを忘れた振舞、肉親とて、捨ておいては、覇業の
障
(
さわ
)
りになる。今のうちに、九郎冠者めを討って取れ」
日本名婦伝:静御前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
義経はそれを、
仙洞
(
せんとう
)
御所へ参院した戻り道に見て覚った。
日本名婦伝:静御前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“仙洞”の意味
《名詞》
仙洞(せんとう)
仙人の居所。
上皇や院の御所。転じて上皇のこと。
(出典:Wiktionary)
“仙洞(
仙洞御所
)”の解説
仙洞御所(せんとうごしょ)は、太上天皇・法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所。
仙洞とは本来仙人の住み処を指し、そこから転じて上皇・法皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
(出典:Wikipedia)
仙
常用漢字
中学
部首:⼈
5画
洞
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
“仙洞”で始まる語句
仙洞御所