仙洞せんとう)” の例文
「きょうの昼中より、あわただしゅう、院の内外に軍兵を催されておる仙洞せんとうのさまを、相国には、なんと御覧ごろうぜられまするか」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正治しょうじ百首』によって後鳥羽院の仙洞せんとうに昇殿を許された数々の歌人のうちで、定家は光っていた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
これを持ち伝えておるからは、お前の家柄にまぎれはない。仙洞せんとうがまだ御位みくらいにおらせられた永保えいほうの初めに、国守の違格いきゃくに連座して、筑紫へ左遷せられた平正氏たいらのまさうじが嫡子に相違あるまい。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
『弓馬秘伝聞書』に祝言しゅうげんの供に猿皮の空穂うつぼを忌む。『閑窓自語』に、元文二年春、出処不明の大猿出でて、仙洞せんとう、二条、近衛諸公の邸を徘徊せしに、中御門なかみかど院崩じ諸公もこうじたとあり。
支那の仙洞せんとうを忍ばせる白鳥の羽箒はぼうきなぞ……そんなものは一つ残らず、未亡人が入院した昨夜から、昨日きのうの昼間にかけて運び込まれたものに相違ないが、トテモ病院の中とは思えない豪奢ごうしゃぶりで
一足お先に (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ただ単に“仙洞せんとう”とも、正しくは“院の御所”ともよばれていた。——三条東のひろい一地域、鳥羽上皇のお住居をである。
仙洞せんとう——」さては参内さんだいであったのかと彼は初めて気がついた。仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。六条からはそう遠くはない。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——仙洞せんとうのご帰還までに」と、最初のうちは、躍起になって、焦心あせったのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身をよろって来た張りあいもないほどである。——が、仙洞せんとうへ来てみると、武者所の一門はひらかれ、一殿でん遠侍とおざむらい、また、もる寝殿しんでんの灯など、常ならぬ気配はどこやらにある。
兼好も、かつては後宇多の仙洞せんとうに北面として近侍していたことがあったからだ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仙洞せんとう御気色みけしきへつらい、武功に誇り、頼朝にも計らわず、五位のじょうに昇るなど、身のほどを忘れた振舞、肉親とて、捨ておいては、覇業のさわりになる。今のうちに、九郎冠者めを討って取れ」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義経はそれを、仙洞せんとう御所へ参院した戻り道に見て覚った。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)