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享和
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きょうわ
ふりがな文庫
“
享和
(
きょうわ
)” の例文
その一は『
古言清濁考
(
こげんせいだくこう
)
』であって、これは
享和
(
きょうわ
)
元年に版になっております。もう一つは『
仮名遣奥山路
(
かなづかいおくのやまみち
)
』で、これには
寛政
(
かんせい
)
十年の序があります。
古代国語の音韻に就いて
(新字新仮名)
/
橋本進吉
(著)
これは
享和
(
きょうわ
)
二年に十歳で
指物師
(
さしものし
)
清兵衛
(
せいべえ
)
の弟子となって、
文政
(
ぶんせい
)
の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、
長二郎
(
ちょうじろう
)
と申す指物師の伝記でございます。
名人長二
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
その「累世二主」というのは
享和
(
きょうわ
)
元年六月二十九日に平洲が寿七十四歳で没し養子徳昌が家を継いで嚶鳴館の新主となった事を言ったのであろう。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
九代、
春延
(
はるのぶ
)
、幼名
又四郎
(
またしろう
)
、
享和
(
きょうわ
)
三年
家督
(
かとく
)
、
賜
(
たまわる
)
二百
石
(
こく
)
、
文政
(
ぶんせい
)
十二年三月二十一日
没
(
ぼつ
)
、か。この前はちぎれていて分らない。
孤島の鬼
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
目ッぱの吉五郎のほうは、
享和
(
きょうわ
)
三年、同じく延命院の伏魔殿を突きとめ、悪僧
日潤
(
にちじゅん
)
を
捕
(
と
)
って押えたお手先。これで、
北番所
(
きた
)
の
名題
(
なだい
)
どころが全部顔が揃ったわけ。
平賀源内捕物帳:山王祭の大像
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
▼ もっと見る
前の養母にも一度
衷心
(
ちゅうしん
)
感謝を
披瀝
(
ひれき
)
したといふのは、
享和
(
きょうわ
)
元年彼は六十八歳になつたが、この年齢は大阪の歌島稲荷社の神が彼に与へた寿命の尽きる歳であつた。
上田秋成の晩年
(新字旧仮名)
/
岡本かの子
(著)
このごろ未刊随筆百種のうちの「
享和
(
きょうわ
)
雑記」を読むと、
濃州
(
のうしゅう
)
徳山くろん坊の事という一項がある。
くろん坊
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
早く夜明けを告げに生まれて来たような大人は、暗いこの世をあとから歩いて来るものの探るに任せて置いて、新しい世紀のやがてめぐって来る
享和
(
きょうわ
)
元年の秋ごろにはすでに過去の人であった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
著者は思ふに十九世紀(
享和
(
きょうわ
)
文化以降)の浮世絵のみを知るものと覚しく、専ら十九世紀を主としてかへつて十八世紀(
元禄
(
げんろく
)
末期より寛政の終に至る)を
疎
(
おろそか
)
にする所あり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
さてお話が二つに分れまして、ちょうど時は
享和
(
きょうわ
)
の二年七月廿一日の事でございまする。
真景累ヶ淵
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
されば寛政末年より
享和
(
きょうわ
)
の始めに至る時代風俗の変遷と共に歌麿美人の身長もまた極端に
馳
(
は
)
せ
遂
(
つい
)
にその特徴たる
廃頽
(
はいたい
)
的情味を
形造
(
かたちづく
)
るに至りしが享和の末よりはややその身長の度を減ずるに従ひ
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“享和”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。寛政の後、文化の前。1801年3月19日から1804年3月22日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
享
常用漢字
中学
部首:⼇
8画
和
常用漢字
小3
部首:⼝
8画
“享和”で始まる語句
享和年間