“りゅうおう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
竜王38.5%
龍王23.1%
㝫応7.7%
流鶯7.7%
瘤翁7.7%
笠翁7.7%
英烈竜王7.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「うん。」藤吉はわれに返ったように、「下手の考え休みに到る、か。」と、ぱちりと置く竜王りゅうおうの一手。
龍王りゅうおうはいって、藤太とうだをくつろがせ、いろいろとごちそうをしているうちに時刻じこくがたって、だんだんくらくなってました。
田原藤太 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
その四丁目かに黒川重平という質屋があって、其処の二階に私の村の寺の住職佐原㝫応りゅうおう和尚が間借をして本山即ち近江番場おうみばんば蓮華れんげ寺のために奮闘していたものである。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
流鶯りゅうおう啼破ていは一簾いちれんの春。書斎にこもっていても春は分明ぶんみょうに人の心のとびらひらいて入込はいりこむほどになった。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
東堂は左腭下さがくかこぶを生じたので、自ら瘤翁りゅうおうと号していたが、別に臨んで、もう再会は覚束おぼつかないといって落涙した。成善の去った翌年、明治五年九月十六日に東堂は塩分町しおわけちょうの家に歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
笠翁りゅうおうは昔詳細に、支那の女の美を説いたが、(偶集巻之三、声容部)未嘗いまだかつてこの耳には、一言も述べる所がなかった。この点では偉大な十種曲の作者も、まさに芥川龍之介に、発見の功を譲るべきである。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その日は英烈竜王りゅうおう生日えんにちであった。許宣は金山寺きんざんじへ焼香に往きたいと思って再三白娘子に同行を勧めたが白娘子は往かなかった。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)