“きやうほ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
享保66.7%
享和33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
享保(きやうほ)の初(はじめ)の頃(ころ)將軍吉宗公町奉行(まちぶぎやう)大岡越前守と御評議(ごひやうぎ)あつて或は農工商(のうこうしやう)罪(つみ)なるものに仰付けられ追放(つゐはう)遠島(ゑんたう)の替(かは)りに金銀を以て罪(つみ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
享保(きやうほ)時代。大岡越前守(ゑちぜんのかみ)が江戸の町奉行(まちぶぎやう)たりし頃。七月初旬の午後。
権三と助十 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
然程(さるほど)に大岡越前守殿には段右衞門前名(ぜんみやう)畔倉重四郎一件(けん)に付享保(きやうほ)十一年十二月右(みぎ)係(かゝ)り合の者共一同(どう)白洲(しらす)へ呼(よび)出され夫々(それ/″\)に其罪科(ざいくわ)を申渡されける
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
仕出たり光陰(くわういん)矢(や)の如く享保(きやうほ)も七年とは成ぬ吉之助も當年(たうねん)は十八歳と成けり夫婦相談(さうだん)して當年の内には吉之助へも云聞(いひきか)せ良辰(りやうしん)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
後の世の幻燈(げんとう)で、享和(きやうほ)年間には、江戸の寄席(よせ)藝人都樂(とらく)なる者が興行用に使用したことが武江年表に記されてをり、それが近代に及んで、淨瑠璃(じやうるり)などを用(もち)ひ、劇的な筋を持つた影芝居