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堂
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どう
ふりがな文庫
“
堂
(
どう
)” の例文
それから、
男
(
おとこ
)
たちが、
鐘
(
かね
)
つき
堂
(
どう
)
へ
上
(
あ
)
がって、
鐘
(
かね
)
をつくのです。やがて、
陰気
(
いんき
)
な
鐘
(
かね
)
の
音
(
ね
)
は、
遠
(
とお
)
くまで
波
(
なみ
)
を
打
(
う
)
ってひびいてゆくのでした。
娘と大きな鐘
(新字新仮名)
/
小川未明
(著)
しょせん逃げおおせぬとあきらめてか、途中、小さい
破
(
や
)
れ
堂
(
どう
)
を見かけるやいな隠れこんで、内から
御堂格子
(
みどうごうし
)
を閉じていたのだった。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
文壇
(
ぶんだん
)
の
論陣
(
ろんぢん
)
今や
輕
(
けい
)
佻
亂雜
(
らんざつ
)
卑
(
ひ
)
小に
流
(
なが
)
れて、
飽
(
あく
)
までも
所信
(
しよしん
)
に
邁進
(
まいしん
)
する
堂
(
どう
)
々たる
論客
(
きやく
)
なきを
思
(
おも
)
ふ時、
泡鳴
(
ほうめい
)
さんのさうした
追憶
(
ついおく
)
も
私
(
わたし
)
には
深
(
ふか
)
い懷しさである。
文壇球突物語
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
と! すっかり気おされて、精根がつきはてたものか、峰丹波、朽ち木が倒れるように
堂
(
どう
)
ッと地にのけぞってしまった。
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
若者
(
わかもの
)
はだんだん
心細
(
こころぼそ
)
くなったものですから、これは
観音
(
かんのん
)
さまにお
願
(
ねが
)
いをする
外
(
ほか
)
はないと
思
(
おも
)
って、
長谷寺
(
はせでら
)
という大きなお
寺
(
てら
)
のお
堂
(
どう
)
におこもりをしました。
一本のわら
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
▼ もっと見る
奥州武士の
伊達政宗
(
だてまさむね
)
が罪を
堂
(
どう
)
ヶ
島
(
しま
)
に待つ間にさえ茶事を学んだほど、茶事は行われたのである。
勿論
(
もちろん
)
秀吉は
小田原
(
おだわら
)
陣にも茶道宗匠を
随
(
したが
)
えていたほどである。
骨董
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
国直の浮絵は
上野
(
うえの
)
二
(
ふた
)
ツ
堂
(
どう
)
、
浅草雷門
(
あさくさかみなりもん
)
の如き、その
台榭
(
だいしゃ
)
樹木
(
じゅもく
)
の背景常に整然として模様に
斉
(
ひと
)
しき快感を覚えしむ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
しかし、お
腹
(
なか
)
がへって、からだが
疲
(
つか
)
れてふらふらしてくると、清造はどこか道ばたの木の根でも、お
堂
(
どう
)
の
縁
(
えん
)
にでも腰をおろして、ごろりと横になるのでした。
清造と沼
(新字新仮名)
/
宮島資夫
(著)
中村警部は、社務所の神官にたのんで、一年に一度しかひらかない、社殿のおくの
扉
(
とびら
)
までひらかせてみました。社殿や社務所や
堂
(
どう
)
のゆかしたもしらべました。
灰色の巨人
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
右へ行けば
籠
(
こも
)
り
堂
(
どう
)
で、岩壁を
刳
(
く
)
り抜いて造られてあった。左へ行けば苦行堂で、これも岩壁で造られていた。中庭へ出、坂を上った。その頂上に塔があった。
神州纐纈城
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
こないだの
關東
(
かんとう
)
の
大震災
(
だいしんさい
)
のときには、
淺草
(
あさくさ
)
の
觀音
(
かんのん
)
のお
堂
(
どう
)
の
裏
(
うら
)
のいてふの
木
(
き
)
は
片側
(
かたがは
)
半分
(
はんぶん
)
は
火
(
ひ
)
に
燒
(
や
)
けても、
他
(
た
)
の
半分
(
はんぶん
)
の
枝葉
(
えだは
)
のために
火
(
ひ
)
がお
堂
(
どう
)
に
燃
(
も
)
えうつるのを
防
(
ふせ
)
ぎました。
森林と樹木と動物
(旧字旧仮名)
/
本多静六
(著)
先刻
(
さっき
)
から赤い本に指を
噛
(
か
)
まれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りを
堂
(
どう
)
と打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は
毛布
(
けっと
)
を落して、出した足を急に引き込ます。
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
小さな色々の
堂
(
どう
)
や
祠
(
ほこら
)
、またはあたらしい講や教団の現われたのもまったくそのためであった。
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
瞬間、島の
青柳
(
あおやぎ
)
に銀の影が、パツと
映
(
さ
)
して、
魚
(
うお
)
は
紫立
(
むらさきだ
)
つたる
鱗
(
うろこ
)
を、
冴
(
さ
)
えた
金色
(
こんじき
)
に輝かしつゝ
颯
(
さっ
)
と
刎
(
は
)
ねたのが、
飜然
(
ひらり
)
と宙を
躍
(
おど
)
つて、船の中へ
堂
(
どう
)
と落ちた。
其時
(
そのとき
)
、水がドブンと鳴つた。
伯爵の釵
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
友人というのは、
某会社
(
ぼうかいしゃ
)
の
理事
(
りじ
)
安藤某
(
あんどうぼう
)
という
名刺
(
めいし
)
をだして、年ごろ四十五、六、
洋服
(
ようふく
)
の
風采
(
ふうさい
)
堂
(
どう
)
どうとしたる
紳士
(
しんし
)
であった。主人は
懇切
(
こんせつ
)
に
奥
(
おく
)
に
招
(
しょう
)
じて、花前の一
身
(
しん
)
につき、
問
(
と
)
いもし
語
(
かた
)
りもした。
箸
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
「
失礼
(
しつれい
)
ですがあのお
堂
(
どう
)
はどなたをおまつりしたのですか。」
雁の童子
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
さあ、みんなでお
堂
(
どう
)
へ這入って
ファウスト
(新字新仮名)
/
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(著)
平生
(
へいぜい
)
は、あまりおまいりにゆく
人
(
ひと
)
もなく、すずめが、
本堂
(
ほんどう
)
の
屋根
(
やね
)
や、また
鐘
(
かね
)
つき
堂
(
どう
)
のまわりで、かしましく
鳴
(
な
)
いているばかりです。
娘と大きな鐘
(新字新仮名)
/
小川未明
(著)
上
(
かみ
)
ノ
堂
(
どう
)
の
行宮
(
あんぐう
)
は、ご寝所も、常の陣座の間も、まことに手ぜまな所だったが、そこへ御出座あるやいな、
尊良
(
たかなが
)
、
宗良
(
むねなが
)
の二皇子へたいして
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
本石町の小西と
淺沼
(
あさぬま
)
、今川小
路
(
ぢ
)
の
進
(
しん
)
々
堂
(
どう
)
——それらが
當
(
とう
)
時の
有
(
ゆう
)
名な
店
(
みせ
)
だつたが、とにかく東
京
(
けう
)
にも
寫眞器屋
(
しやしんきや
)
などはまだ
數
(
かぞ
)
へるほどしかなかつたやうに
思
(
おも
)
ふ。
写真と思ひ出:――私の写真修行――
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
太子
(
たいし
)
のお
住
(
す
)
まいになっていたお
宮
(
みや
)
は
大和
(
やまと
)
の
斑鳩
(
いかるが
)
といって、
今
(
いま
)
の
法隆寺
(
ほうりゅうじ
)
のある
所
(
ところ
)
にありましたが、そこの
母屋
(
おもや
)
のわきに、
太子
(
たいし
)
は
夢殿
(
ゆめどの
)
という
小
(
ちい
)
さいお
堂
(
どう
)
をおこしらえになりました。
夢殿
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
ちょうど、それと
同
(
おな
)
じ
時刻
(
じこく
)
に、
寺
(
てら
)
の
鐘
(
かね
)
つき
堂
(
どう
)
につるしてある
鐘
(
かね
)
の
太
(
ふと
)
い
綱
(
つな
)
が
切
(
き
)
れて、
鐘
(
かね
)
は、
地
(
じ
)
ひびきをたてて
下
(
した
)
に
落
(
お
)
ちたのでした。
娘と大きな鐘
(新字新仮名)
/
小川未明
(著)
宮内
(
くない
)
は急にいそぎ足になって、
境内
(
けいだい
)
のかたすみにある六
角
(
かく
)
堂
(
どう
)
へ向かっていった。一
間
(
けん
)
の
木連格子
(
きつれごうし
)
が、六面の入口にはまっていた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
で、
仕
(
し
)
方なく小西、
淺沼
(
あさぬま
)
、
進
(
しん
)
々
堂
(
どう
)
あたりから
寫眞器
(
しやしんき
)
の目
録
(
ろく
)
を
取
(
と
)
りよせたりして、いはば高
根
(
ね
)
の花のいゝ
寫眞器
(
しやしんき
)
の挿
繪
(
ゑ
)
や
説明
(
せつめい
)
などを
讀
(
よ
)
むことによつて、
氣
(
き
)
持を慰さめてゐた。
写真と思ひ出:――私の写真修行――
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
その
時
(
とき
)
お
堂
(
どう
)
の
隅
(
すみ
)
に、ぼろぼろの
衣
(
ころも
)
を
着
(
き
)
たきたならしい
坊
(
ぼう
)
さんが
座
(
すわ
)
って、
何
(
なに
)
か
仏
(
ほとけ
)
さまにお
祈
(
いの
)
りをしていました。それを
家来
(
けらい
)
たちがじゃまにしてどけようとして、がやがや
騒
(
さわ
)
ぎました。
鉢かつぎ
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
いきどおろしい、竹童の心は
湯
(
ゆ
)
のごとく
沸
(
たぎ
)
りたって、こう
叫
(
さけ
)
びながら
方角
(
ほうがく
)
もさだめず、
裏宮
(
うらみや
)
のお
堂
(
どう
)
を
巡
(
めぐ
)
り、いましも、
斎院
(
さいいん
)
の前まであるいてきた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いふまでもなく先生は
私
(
わたし
)
の三田
文科
(
ぶんくわ
)
生時
代
(
だい
)
からの先生であるが、
球突
(
たまつき
)
では
始終
(
ししう
)
喧嘩
(
けんくわ
)
相
(
あひ
)
手で、
銀座裏
(
ぎんざうら
)
の日
勝亭
(
せうてい
)
で
勝負
(
せうふ
)
を
爭
(
あらそ
)
つて、その
成績
(
せいせき
)
で風月
堂
(
どう
)
の
洋食
(
ようしよく
)
のおごりつこをしたなどもしばしばである。
文壇球突物語
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
玉造
(
たまつくり
)
の一角。——ここも変らない新開地的な色彩の中に、
難波津
(
なにわつ
)
のむかしのまま、こんもりと青葉の
樹立
(
こだち
)
に抱えられた
一宇
(
いちう
)
の
堂
(
どう
)
と
風雅
(
ふうが
)
な人の
住居
(
すまい
)
の
址
(
あと
)
がある。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それよりまえに、あやうく卜斎の
殺刃
(
さつじん
)
をのがれて、
堂
(
どう
)
の
裏
(
うら
)
に
姿
(
すがた
)
をかくしていた
鞍馬
(
くらま
)
の
竹童
(
ちくどう
)
は、ほど
経
(
へ
)
てあたりをうかがいながら、そっと、ようすをながめにでた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いやこの張順も、はからずお三名の豪傑に、一
夕
(
せき
)
一
堂
(
どう
)
のうちでお目にかかり、こんなうれしいことはございません。どうぞこれからは兄弟分の端と思ってお叱りを」
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
叡山
(
えいざん
)
は過ぐる元亀二年の信長の一令によって大焼打にあったまま、今なお山上の七
堂
(
どう
)
伽藍
(
がらん
)
も中堂も山王二十一社も当年の
灰燼
(
かいじん
)
を積んで、復興の目鼻もついていないという。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「む、相違なくそこの
破
(
や
)
れ
堂
(
どう
)
だ」
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“堂”の意味
《名詞》
(ドウ) 神仏をまつる建物。
(ドウ) 多くの人の集まる建物。
(ドウ) 客に接したり、礼楽を行なったりする所。正殿。
(出典:Wiktionary)
“堂(
堂宇
)”の解説
堂宇(どうう)は、四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物。
(出典:Wikipedia)
堂
常用漢字
小5
部首:⼟
11画
“堂”を含む語句
食堂
堂上
礼拝堂
御堂
堂宇
観音堂
堂島
祠堂
会堂
駒形堂
萱堂
小聖堂
堂々
聖堂
祠堂金
堂上方
堂塔
革堂
春陽堂
木堂
...