“大和”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
やまと94.3%
オホヤマト1.6%
ヤマト1.6%
おほわ0.8%
おおやまと0.8%
おゝわ0.8%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
『おもろ草紙そうし』を見てもわかるように、勝連が当時の文化の中心であったことは大和やまとの鎌倉のごとしと歌われていた通りであった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
大和オホヤマトの京へまゐるとて、てきつる道の程をいへる如くに聞ゆめれど、よく見れば、まことは大和オホヤマトの京にはあらず。
倭女王卑弥呼考 (旧字旧仮名) / 白鳥庫吉(著)
これで大和ヤマトも、河内カハチとの境ぢやで、もう魂ごひのギヤウもすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、イホリの中で魂をとり返して、ぴち/\して居られようぞ。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
男世帯なる篠田家に在りての玄関番たり、大宰相たり、大膳太夫だいぜんのたいふたる書生の大和おほわ一郎が、白の前垂を胸高むなだかに結びて、今しも朝餐あさげの後始末なるに
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
後に天照大神は伊勢の五十鈴川いすずがわかみに伊勢皇大神宮として鎮座ましまし、倭大国魂神やまとのおおくにみたまのかみは、官幣大社大和おおやまと神社として、今も大和に鎮座になっております。
その晩には信鉄沿線の有明村から案内者大和おゝわ由松が来て一行に加わった。大和はスキーが出来るので、大沢の小屋で一同の用事をすることになっていたのである。
山を思う (新字新仮名) / 石川欣一(著)