餓莩がひょう)” の例文
こうして合戦が長びくにつれて国内の飢餓うえは日一日と、益〻暴威をたくましゅうし、とうとう町々辻々に餓莩がひょう横仆よこたわる有様となった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
古代にあっては下級民に余れる資産なく、多数は所謂その日暮らしであって、一旦飢饉でもあると、餓莩がひょうたちまち路に横たわるというのが普通であった。
特に八年は窮乏の絶頂で日本全土の人間が菜色さいいろになったと言っても宜い有様、江戸から東北へかけて、文字通り餓莩がひょうよこたわるという悲惨な日が続きました。
黄金を浴びる女 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
天保五年の正月においては、米百俵に附き百四十五両余の相庭そうばとなり、餓莩がひょう路に満つの状ありき。「黄金はなはだ重く天下軽し」、小民怨嗟えんさの声は、貴人の綺筵きえんに達せず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
何しろ失業者はふえる一方だし、濱口さんは緊縮々々の一点ばりだし、餓莩がひょう地に満つとでも言ひますか、こんな深刻な世情を、わしはこの歳になるまで見たことがない。
地獄 (新字旧仮名) / 神西清(著)
「お話にも何んにもなりゃあしない。餓莩がひょうちまたに満つるというのは、応仁時代の京師だが、今の甲府は癩患者で、それこそ身動きも出来ないほどだ」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
将軍家お膝元大江戸でさえ餓莩がひょう道に横たわり死骸から発するなまぐさい匂いが空を立ち籠めるというありさまであった。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
葛葉くずはの二関の他は、関所ことごとく開放し、商売往来のついえをはぶき、また元亨元年の夏、大旱だいかんあって地を枯らし、甸服でんぷくの外百里の間、赤土せきどのみあって青苗せいびょうなく、餓莩がひょう巷に横仆よこたわり
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)