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隆資
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たかすけ
ふりがな文庫
“
隆資
(
たかすけ
)” の例文
そして南河内の一角は、いやおうなく吉野の重臣、四条中納言
隆資
(
たかすけ
)
の指揮下にかため直され、久子はそのいきぐるしい中にあった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
即ち北畠親房、四条
隆資
(
たかすけ
)
等の共同作戦計画が出来たので、本営を此の地に据えて、吉野の軍と相策応したのである。
四条畷の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
尹大納言師賢
(
いんのだいなごんもろかた
)
であり、それと向かい合って大口を開き、
唐詩
(
からうた
)
らしいものを吟じているのは、四条中納言
隆資
(
たかすけ
)
であり、その横で素肌に褊一重の、同じ姿の白拍子や遊君を三人がところ引きつけて
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
北畠親房や四条
隆資
(
たかすけ
)
らが、運びをつけていたもので、さらにここから、
高野
(
こうや
)
へお
遷
(
うつ
)
りの議もあったが、その議は止み、ここ吉野の山上を、以後
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
朝廷の
親衛軍
(
しんえいぐん
)
、
興良
(
おきなが
)
親王の御陣地や、四
条
(
じょう
)
隆資
(
たかすけ
)
のほうへも、いちいち軍議が報じられ、また、御意見をうかがい、使者が走るという有様だった。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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もちろん、南朝方には、正行の楠木勢以外にも、四条
隆資
(
たかすけ
)
を大将とする「——和泉、紀伊などの
野伏
(
のぶせり
)
ども二万余人」
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日野蔵人のほか——花山院
師賢
(
もろかた
)
、烏丸
成輔
(
なりすけ
)
、四条
隆資
(
たかすけ
)
、日野
資朝
(
すけとも
)
らの名が洩らされ、討幕の綸旨をおびたそれぞれは、折あるごとに、山伏や雑人に姿をやつし
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北畠親房は、吉野で何かを策しており、四条
隆資
(
たかすけ
)
は、しきりと、和泉河内の残兵をかりあつめ、また親房の一子
顕信
(
あきのぶ
)
も、伊勢で戦備をすすめているということです。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、清忠は肩をゆすッて笑い、そして列座の千種
忠顕
(
ただあき
)
や四条
隆資
(
たかすけ
)
らと、ふた
言
(
こと
)
み言ささやきあっていたふうであったが、やがて、その居ずまいを、こころもち玉座の方へ向けて
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
赤橋
則祐
(
そくゆう
)
が千余騎でその前陣をうけたまわり、二番陣は
殿
(
でん
)
ノ法印、三番には、四条
隆資
(
たかすけ
)
の五百騎、四番には中院ノ定平が八百余騎をひきい、宮の親衛隊には特に
屈強
(
くっきょう
)
な精兵五百人が
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日野参議
資朝
(
すけとも
)
、四条
隆資
(
たかすけ
)
、
花山院師賢
(
かざんいんもろかた
)
、
烏丸成輔
(
からすまなりすけ
)
など、いずれも気鋭な朝臣がたが、これも豪気なるお若き天子に、つねづね
侍
(
かしず
)
き申しあげ、また政務をみそなわす記録所には、吉田定房
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尹
(
いん
)
ノ
師賢
(
もろかた
)
、四条
隆資
(
たかすけ
)
、
洞院
(
とういん
)
ノ
実世
(
さねよ
)
、伊達ノ
三位
(
さんみ
)
遊雅
(
ゆうが
)
、平ノ
成輔
(
なりすけ
)
、日野
資朝
(
すけとも
)
。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、たまりかねたように、四条
隆資
(
たかすけ
)
が言った。この隆資は、千早籠城のさい、正成と共に、主将として、金剛山の上にこもっていた公卿なので、正成とは気心もよく知っているはずの者だった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
隆
常用漢字
中学
部首:⾩
11画
資
常用漢字
小5
部首:⾙
13画
“隆”で始まる語句
隆
隆々
隆起
隆景
隆盛
隆達
隆達節
隆中
隆升軒信階
隆光