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重衡
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しげひら
ふりがな文庫
“
重衡
(
しげひら
)” の例文
「昔平ノ
重衡
(
しげひら
)
は、
囚人
(
めしゅうど
)
として東海道を、関東へ降る道すがら、何んとかいう
駅
(
うまやじ
)
で白拍子の千寿と……で、わしも……行こう、亀千代」
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
町ともつかず村ともつかない
鄙
(
ひな
)
びた家並がある。ここは
重衡
(
しげひら
)
の東下りのとき、鎌倉で重衡に愛された遊女
千手
(
せんじゅ
)
の前の生れた
手越
(
たごし
)
の里だという。
東海道五十三次
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
治承四年の十二月二十八日、本三位中将
重衡
(
しげひら
)
は、父清盛の命によって南都を攻め、東大寺の
大伽藍
(
だいがらん
)
を焼いて了った。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
本三位中将
重衡
(
しげひら
)
、侍大将に越中次郎兵衛
盛次
(
もりつぐ
)
、
上総
(
かずさの
)
五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清などを命じて先陣とし、二万余騎の兵で播磨に押し渡り室山に陣を構えた。
現代語訳 平家物語:08 第八巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
雪見ノ御所を中心とし、宗盛、頼盛、教盛、
重衡
(
しげひら
)
など、彼の一門一族はみなここの傾斜地に門をならべた。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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もう三十年にもなるが松岡映丘が、平
重衡
(
しげひら
)
最期の図を描くといって、この木の花盛りを写生に来たこともあった。その頃からもう私は、このアテという樹名に不審を抱いていたのである。
アテヌキという地名
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「菊川に公卿衆泊りけり
天
(
あま
)
の
川
(
がは
)
」(
蕪村
(
ぶそん
)
)の光景は、川の面を冷いやりと吹きわたる無惨の秋風が、骨身に沁みるのをおぼえようではあるまいか、更にそのむかし、平家の
公達
(
きんだち
)
、
重衡
(
しげひら
)
朝臣
(
あそん
)
が
天竜川
(新字旧仮名)
/
小島烏水
(著)
従三位行兼右近衛中将平朝臣
資盛
(
すけもり
)
、正三位行右近衛権中将兼伊予守平朝臣維盛、正三位行左近衛中将兼播磨守平朝臣
重衡
(
しげひら
)
、正三位行右衛門督兼近江遠江守平朝臣清宗
現代語訳 平家物語:07 第七巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
「——途方もない
敗
(
ま
)
け
軍
(
いくさ
)
だよ。今朝から逃げて来るのはみな平家の兵ばかりじゃ。今もな、新中納言
知盛
(
とももり
)
様、それと
重衡
(
しげひら
)
様なんどが、みじめな姿で、八条のほうへ逃げて行ったぞよ」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ところが、この三位中将は同じ三位中将でも、本三位中将
重衡
(
しげひら
)
のことだということがわかった。
現代語訳 平家物語:10 第十巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
源氏に
生虜
(
いけど
)
られて都へ帰った平
重衡
(
しげひら
)
に手紙を書かせて、屋島の宗盛の許へ
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
清盛の五男、本三位中将
重衡
(
しげひら
)
は、一ノ谷の合戦で源氏に
生捕
(
いけど
)
られたのであるが、
公達
(
きんだち
)
として、生きて都に送られ、鎌倉の頼朝の面前にまで曳かれた人は、平家方の大将ではこの重衡一人である。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
重衡
(
しげひら
)
いけどり
現代語訳 平家物語:09 第九巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
重
常用漢字
小3
部首:⾥
9画
衡
常用漢字
中学
部首:⾏
16画
“重衡”で始まる語句
重衡朝臣
重衡被斬