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酸漿
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ほほづき
ふりがな文庫
“
酸漿
(
ほほづき
)” の例文
博士は指先で充血した眼の
上瞼
(
うはまぶた
)
を
撮
(
つま
)
んで、
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに
引
(
ひつ
)
くり返さうとしたが、直ぐ鼻先に邪魔物が飛び出してゐて、どうも思ふやうにならない。
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
五〇
死助
(
しすけ
)
の山にカツコ花あり。遠野郷にても珍しといふ花なり。五月
閑古
(
かんこ
)
鳥の
啼
(
な
)
く頃、女や子どもこれを採りに山へ行く。
酢
(
す
)
の中に
漬
(
つ
)
けておけば紫色になる。
酸漿
(
ほほづき
)
の実のやうに吹きて遊ぶなり。
遠野物語
(新字旧仮名)
/
柳田国男
(著)
酸漿
(
ほほづき
)
は
眞摯
(
まじめ
)
に
孕
(
はら
)
み
思ひ出:抒情小曲集
(旧字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
酸漿
(
ほほづき
)
に似てゐた。
富嶽百景
(新字旧仮名)
/
太宰治
(著)
酸漿
(
ほほづき
)
提灯
十五夜お月さん
(旧字旧仮名)
/
野口雨情
(著)
▼ もっと見る
四条派の名家だつた望月玉泉が、晩年に京都のある高等女学校に、邦画の教師として一週幾時間か
酸漿
(
ほほづき
)
のやうな
真紅
(
まつか
)
な顔を
覗
(
のぞ
)
けてゐた事があつた。
茶話:02 大正五(一九一六)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
男といふものは自分の女房が
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに一
室
(
ま
)
に閉ぢ籠つて、固くなつてゐるのでなければ、外で酒一つ飲む事の出来ない程の意気地なしである。
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
それを見ると娘は仰天して
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに
真紅
(
まつか
)
になつた。紳士は
擬
(
まが
)
ふ
方
(
かた
)
もないワナメエカアの主人だつた。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
末松夫人は
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに
真
(
ま
)
つ
紅
(
か
)
になつた。そして泣き顔をして両手で老人を拝むやうな真似をした。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
宗教学校
(
ミツシヨン・スクール
)
出の婦人だつたら、そんなのを見て
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに顔を
紅
(
あか
)
くするかも知れないが、しかしそれは物を知らないからで、お行儀な西洋人にも、
肉刀
(
ナイフ
)
で物を食べるのは少くない。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
自分の恋を打明けるには、
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに
心
(
しん
)
から
真紅
(
まつか
)
にならない訳に
往
(
ゆ
)
かなかつた。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
ある時ずんぐり肥つた、鼻先の
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに赤い男が玄関に入つて来た。
茶話:03 大正六(一九一七)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
その男は
戯弄
(
からか
)
はれたのだと知ると、
酸漿
(
ほほづき
)
のやうに顔をふくらませた。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
“酸漿”の意味
《名詞》
(サンショウ、熟字訓:ほおずき) ほおずき。
(サンショウ) かたばみ。
(出典:Wiktionary)
“酸漿(ホオズキ)”の解説
ホオズキ(鬼灯、鬼燈、酸漿)は、ナス科ホオズキ属の一年草または多年草。またはその果実。カガチ、ヌカヅキともいう。丹波ホオズキなどともよばれる。
(出典:Wikipedia)
酸
常用漢字
小5
部首:⾣
14画
漿
漢検1級
部首:⽔
15画
“酸漿”で始まる語句
酸漿提灯
酸漿屋
酸漿市
酸漿色
酸漿提燈