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こえ
百樹曰、余丁酉の年の晩夏
豚児京水を
従て北越に
遊し時、
三国嶺を
踰しは六月十五日なりしに、谷の
底に鶯をきゝて
前編に
載たる
三国嶺の
図は、牧之老人が
草画に
傚て京山
私儲満山に
松樹を
画り。
余越遊の時三国嶺を
踰しに
此嶺はさらなり、前後の
連岳すべて松を見ず。此地にかぎらず越後は松の
少き国なり。
百樹曰、余丁酉の年の晩夏
豚児京水を
従て北越に
遊し時、
三国嶺を
踰しは六月十五日なりしに、谷の
底に鶯をきゝて
初編にもしるしたるごとく、我国の
獣冬にいたれば山を
踰て雪
浅国へさる、これ雪ふかくして
食にとぼしきゆゑなり。春にいたればもとの
棲へかへる。
初編にもしるしたるごとく、我国の
獣冬にいたれば山を
踰て雪
浅国へさる、これ雪ふかくして
食にとぼしきゆゑなり。春にいたればもとの
棲へかへる。
是日はことに
快晴して
村落の
秋景百逞目を
奪ふ。さて
平山一ツを
踰て
坡あり、
則地獄谷へいたるの
径なり。
坡の上より目を
下せば一ツの
茅屋あり、
是本文にいへる
混堂なり。
是日はことに
快晴して
村落の
秋景百逞目を
奪ふ。さて
平山一ツを
踰て
坡あり、
則地獄谷へいたるの
径なり。
坡の上より目を
下せば一ツの
茅屋あり、
是本文にいへる
混堂なり。