豊後守ぶんごのかみ)” の例文
おめみえは黒書院でおこなわれ、先導役は、老中阿部豊後守ぶんごのかみ、披露役は酒井雅楽頭うたのかみであった。献上品は友成の太刀たち、白銀三百枚、時服二十領。
その足で平次は、遠州浜松の城主七万石松平豊後守ぶんごのかみの上屋敷に飛んで行き、御留守居の役人から何やら聞き出しました。
維新前は五千石を領した旗本大久保豊後守ぶんごのかみの屋敷があった処で、六間堀に面した東裏には明治の末頃にも崩れかかった武家長屋がそのまま残っていた。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
もっとも、彼奴きゃつの口書は、いずれ密封の上、江戸表の評定所ひょうじょうしょへ一通、御城番松野豊後守ぶんごのかみどのへ一通——各〻へ二通にしたためて、後から飛脚でお届けするつもり
夏虫行燈 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
矜持きんじすることのすこぶる高くむしろ傲慢ごうまんにさえ思われるほどの狩野融川はその席上で阿部あべ豊後守ぶんごのかみと争論をした。
北斎と幽霊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
奉行のうちに加わって橋詰から目睹もくとしていた岩沢右兵衛介うひょうえのすけというひとの言に、わが近くに高山豊後守ぶんごのかみなる老士ありしが、この両人を見て、いまだ勝負なき以前
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
南陽房は美濃の領主土岐とき氏の家老長井豊後守ぶんごのかみの舎弟であった。
梟雄 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
銭は内藤豊後守ぶんごのかみ、袖からぼろが下り藤
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
酒井邸には雅楽頭のほかに、同じく老中の阿部豊後守ぶんごのかみと稲葉美濃守みののかみが列坐していて、左のような申し渡しがあった。
それが岩村田侯内藤豊後守ぶんごのかみの、領内にまでも波及して、北佐久一円物情騒然、そこへ乗り込んでは危険というので、ここに滞留しているのであり、その様子をさぐるべく、白須源吾が命を受け
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
列座は、井伊掃部守かもんのかみ、酒井雅楽頭うたのかみ、阿部豊後守ぶんごのかみ、稲葉美濃守みののかみ久世大和守くぜやまとのかみ、土屋但馬守たじまのかみの諸侯であった