行徳ぎょうとく)” の例文
つい行徳ぎょうとくへ流れついたことを話して、その犬士の流されたところもここらであろうかなどと話しているうち、船は向うの岸へ着いた。
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳ぎょうとくまないたと云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ぐっしょりと、汗をかいて、新七は、疲れた腕からを離した。左に遠く見えるのは、江戸川尻を抱いた浦安、行徳ぎょうとくあたりの浜辺である。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行徳ぎょうとく!」と呼ばって入って来て勝手口へ荷をおろす出入の魚屋の声も、井戸端でさかんに魚の水をかえる音も、平素ふだんまさって勇ましく聞えた。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江戸川を上る行徳ぎょうとくの塩、大利根を上る銚子ちょうしの魚類のごときも、皆水海道みつかいどうを経て阿久津に送り、始めてこれを陸上に散布した。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
弘庵は下谷長者町の家を追われて行徳ぎょうとくに移居し、文久二年壬戌じんじゅつ十月そのまさに死せんとする頃赦されて江戸に還った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
下総しもうさの分だが、東葛飾ひがしかつしかだから江戸からは遠くねえ。まあ、行徳ぎょうとくの近所だと思えばいいのだ。そこに浦安うらやすという村がある。その村のうちに堀江や猫実ねこざね……」
半七捕物帳:61 吉良の脇指 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
芳流閣の屋根から信乃と現八とが組打して小舟の中に転がり落ち、はずみに舫綱もやいづなが切れて行徳ぎょうとくへ流れるというについて、滸我こが即ち古賀からは行徳へ流れて来ないという説がある。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
おぬい 職人達はきょうは休み、年期の者は行徳ぎょうとくへ使いに行きました。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
「定吉と申します。ヘエ、生れは行徳ぎょうとくで、親は網元でございました」
三月九日、枕山は星巌夫妻の潮来いたこに遊ばんとするのを行徳ぎょうとくまで送って行った。佐久間象山さくましょうざんもこの日行を送る人の中に交っていた。象山は時に年三十一である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
原文には単に今年の七月初めと書いてあるが、その年の二月、行徳ぎょうとくの浜に鯨が流れ寄ったという記事から想像すると、それは享保十九年の出来事であるらしい。
西瓜 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「わしの得たる神書と、わしの修めたる行徳ぎょうとくをもって、世人に幸福をわかち施すのが、なぜ悪いか、いけないのか、国主はよろしく、わしにたいして礼をこそいうべきであろう」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行徳ぎょうとく
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一日いちじつ深川の高橋から行徳ぎょうとくへ通う小さな汚い乗合のりあいのモーター船に乗って、浦安うらやすの海村に遊んだことがある。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)