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藤田東湖
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ふじたとうこ
ふりがな文庫
“
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)” の例文
凝った
普請
(
ふしん
)
だが住み荒らした庵のうち、方来居と書いた
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
の
扁額
(
へんがく
)
の下で、玄鶯院がお盆をかむって新太郎をあやしている。
つづれ烏羽玉
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
あの水戸藩士、
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
、
戸田蓬軒
(
とだほうけん
)
らの率先して唱え初めた尊王攘夷は、幾多の屈折を経て、とうとうこの実行運動にまで来た。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
昔し島田は
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
の偽筆に時代を着けるのだといって、
白髪蒼顔万死余云々
(
はくはつそうがんばんしのようんぬん
)
と書いた
半切
(
はんせつ
)
の
唐紙
(
とうし
)
を、台所の
竈
(
へっつい
)
の上に釣るしていた事があった。
道草
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
弘庵は
夙
(
はや
)
くより水戸の家臣
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
と親しく交っていたので、水戸前中納言は東湖に命じて海防に関する意見を弘庵に問わしめた。弘庵の声名は当時東都の学者中最
嘖々
(
さくさく
)
としていた故である。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
〔評〕南洲
弱冠
(
じやくくわん
)
の時、
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
に
謁
(
えつ
)
す、東湖は
重瞳子
(
ちやうどうし
)
、
躯幹
(
くかん
)
魁傑
(
くわいけつ
)
にして、
黄麻
(
わうま
)
の
外套
(
ぐわいとう
)
を
被
(
き
)
、
朱室
(
しゆざや
)
の
長劒
(
ちやうけん
)
を
佩
(
さ
)
して南洲を
邀
(
むか
)
ふ。南洲一見して
瞿然
(
くぜん
)
たり。乃ち室内に入る、一大白を
屬
(
ぞく
)
して
酒
(
さけ
)
を
侑
(
すゝ
)
めらる。
南洲手抄言志録:03 南洲手抄言志録
(旧字旧仮名)
/
秋月種樹
、
佐藤一斎
(著)
▼ もっと見る
それまで御隠居を動かして
鎖攘
(
さじょう
)
の説を唱えた二人の幕僚、
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
、
戸田蓬軒
(
とだほうけん
)
なども
遠見
(
とおみ
)
のきく御隠居の見識に服して、自分らの説を改めるようになった。そこへ安政の大地震が来た。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
半蔵が日ごろその人たちのことを想望していた水戸の
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
、
戸田蓬軒
(
とだほうけん
)
なぞも、この大地震の中に巻き込まれた。おそらく水戸ほど当時の青年少年の心を動かしたところはなかったろう。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
あそこに
梅田雲浜
(
うめだうんぴん
)
があり、橋本
左内
(
さない
)
があり、
頼鴨崖
(
らいおうがい
)
があり、
藤田東湖
(
ふじたとうこ
)
があり、
真木和泉
(
まきいずみ
)
があり、ここに
岩瀬肥後
(
いわせひご
)
があり、吉田松陰があり、高橋
作左衛門
(
さくざえもん
)
があり、
土生玄磧
(
はぶげんせき
)
があり、
渡辺崋山
(
わたなべかざん
)
があり
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
藤
常用漢字
中学
部首:⾋
18画
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
東
常用漢字
小2
部首:⽊
8画
湖
常用漢字
小3
部首:⽔
12画
“藤田東湖”で始まる語句
藤田東湖先生