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真木和泉
ふりがな文庫
“真木和泉”のいろいろな読み方と例文
読み方
割合
まきいずみ
85.7%
まきいづみ
14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
まきいずみ
(逆引き)
遠く
山県大弐
(
やまがただいに
)
、
竹内式部
(
たけのうちしきぶ
)
らの勤王論を先駆にして、
真木和泉
(
まきいずみ
)
以来の実行に移った討幕の一大運動はもはやここまで発展して来た。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
そのほかに、久留米の神主で、あの
慷慨家
(
こうがいか
)
の
真木和泉
(
まきいずみ
)
が加わる、それから中山卿のお附であった池、
枚岡
(
ひらおか
)
、大沢の三人——中山卿は長州で
亡
(
な
)
くなられたそうじゃ。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
真木和泉(まきいずみ)の例文をもっと
(6作品)
見る
まきいづみ
(逆引き)
三條
実美
(
さねとみ
)
の信頼篤く、その使命を奉じて四方に使ひし、
真木和泉
(
まきいづみ
)
と共に年齢手腕共に長者であり、志士の間に最も重きをなした人物であつた。生き残つてゐたら、子孫は侯爵になつたかも知れん。
大衆維新史読本:07 池田屋襲撃
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
真木和泉(まきいづみ)の例文をもっと
(1作品)
見る
“真木和泉(真木保臣)”の解説
真木 保臣(まき やすおみ、文化10年3月7日(1813年4月7日) - 元治元年7月21日(1864年8月22日))は、江戸時代後期の久留米水天宮祠官、久留米藩士、尊皇攘夷派の活動家。父は真木旋臣、母は中村柳子。神官として従五位下・和泉守の官位を持ち、真木和泉守もしくは真木和泉、真木和泉守保臣として知られる。雅号は紫灘(したん)。贈正四位。
(出典:Wikipedia)
真
常用漢字
小3
部首:⽬
10画
木
常用漢字
小1
部首:⽊
4画
和
常用漢字
小3
部首:⼝
8画
泉
常用漢字
小6
部首:⽔
9画
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