葺屋ふきや)” の例文
葺屋ふきや町の両芝居から、馬喰ばくろ町、浜町、そこで飛火をして深川の熊井町、相川町、八幡宮の一の鳥居を焼き、仲町辺まで一帯を灰にした。
ちいさこべ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
以前もと葺屋ふきや町、堺町の芝居小屋さんざへの近道なので、その時分からこの辺も、そんな柔らかい空気の濃厚な場所だったかもしれない。
數「うん岩越、ひょろ/\歩くと危いぞ池へおっこちるといかん、あゝ妙だ、家根やね惣体そうたい葺屋ふきやだな、とんと在体ざいてい光景ありさまだの」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
評判のある葺屋ふきや町の色小姓でさえ、主水の前へ出るとそでで顔をおおって恥らうというほどの美少年だったので、寵愛ちょうあいをうけて近習きんじゅに選ばれ擬作高ぎさくだか百石の思召おぼしめし料をもらった。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ことに都会のさわがしい音につかれて、なんとかして今一ど、しずかな葺屋ふきやの雨の音をきいてねむりたいと、思っている人はぞんがいに多く、げんにわたしなどもその一人であった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
生れたのが葺屋ふきや町——昔の芝居座の気分の残る、芸人の住居も多く、よし町は、ずっとそのまま花柳かりゅう明暗の土地であり、もっと前はもとの吉原もあった場処ではあり、葺屋町は殷賑なところで
このよし原が浅草田圃たんぼに移され、新吉原となってからでも、享楽地としては人形町通りを境にして親父橋りに、葭町、堺町、葺屋ふきや町側に三座のやぐらがあり、かげま茶屋、色子いろこ比丘尼びくに繁昌はんじょうした。
油町あたりの呉服商の細君であった祖母が、鼠小僧の人柄なぞをどうして知っていたのかと思ったら、そのころ祖母夫婦は、楽屋新道がくやじんみち——葺屋ふきや町、堺町、などの芝居に近い——の附近にすまっていた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)