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茨木
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いばらき
ふりがな文庫
“
茨木
(
いばらき
)” の例文
午
(
ひる
)
ごろ
茨木
(
いばらき
)
に着き、
小憩
(
しょうけい
)
のあいだに、秀吉は諸方の情報を聞きあつめ、また前進をつづけ、茨木と
高槻
(
たかつき
)
の中間、
富田
(
とんだ
)
に陣営をさだめた。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おめえたちの艇は水雷艇だな。ひょろひょろしてるくせに速い」と法科の
艇舳
(
トップ
)
を漕いでいる、何でも
瑣末
(
さまつ
)
なことを心得ているので巡査と
渾名
(
あだな
)
のある
茨木
(
いばらき
)
が言った。
競漕
(新字新仮名)
/
久米正雄
(著)
今度こそ僕たちが本家に対して申訳のないことになろう、と云うのであったが、実は貞之助は近頃ゴルフをやり始めて、
茨木
(
いばらき
)
の
倶楽部
(
クラブ
)
で奥畑の長兄としばしば顔を合わすので、そんな時に工合が悪い
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
ほどに
此觸
(
このふれ
)
を
聞
(
き
)
く
嬉
(
うれ
)
しさ、
茨木
(
いばらき
)
鬼桃太郎
(旧字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
今日
(
こんにち
)
の
入船
(
にゅうせん
)
は大和の
筒井順慶
(
つついじゅんけい
)
、
和泉
(
いずみ
)
の
中村孫兵次
(
なかむらまごへいじ
)
、
茨木
(
いばらき
)
の
中川藤兵衛
(
なかがわとうべえ
)
、そのほか
姫路
(
ひめじ
)
からも
外濠
(
そとぼり
)
の大石が
入港
(
はい
)
ってまいりますはずで
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
「他の者は、瀬兵衛について来い。摂州
茨木
(
いばらき
)
このかた、
負
(
おく
)
れは知らぬ中川勢ぞ。面とむかった敵には、尺地も退くな」
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「村重にしたがって、
高槻
(
たかつき
)
の高山右近も、
茨木
(
いばらき
)
の中川清秀も、義をとなえ、ともに
叛旗
(
はんき
)
をひるがえした」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
安土の大軍は、三手にわかれた——一手は、滝川
一益
(
かずます
)
、明智光秀、丹羽五郎左衛門などの諸部隊をもって編制され、これは
茨木
(
いばらき
)
城の中川瀬兵衛清秀をとりかこむ。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも村重の
挙
(
きょ
)
に相継いで、摂津一帯の
高槻
(
たかつき
)
の
高山右近
(
たかやまうこん
)
も、
茨木
(
いばらき
)
の
中川清秀
(
なかがわきよひで
)
なども続々、反旗をひるがえしたというし、この中国においてすら、御着の小寺一族が
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
高槻
(
たかつき
)
城の高山右近と、
茨木
(
いばらき
)
城の城代中川清秀とは、伊丹を中心とする荒木村重の両翼だった。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけて
高槻
(
たかつき
)
の高山右近と
茨木
(
いばらき
)
の中川瀬兵衛の二将は、在城の地も近いので、秀吉が尼ヶ崎辺に着いたと聞くと、すぐ一部の手勢をつれ、また各〻、ことし八歳ほどになる
質子
(
ちし
)
を
伴
(
ともな
)
って
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
摂津
茨木
(
いばらき
)
の郷より身を起し、
元亀
(
げんき
)
元年、和田伊賀守を討ち、家の子郎党、中川衆の名一つに武門を
磨
(
みが
)
き、
去
(
い
)
ぬる年の山崎の一戦に、明智が将、御牧三左衛門、伊勢三郎
貞興
(
さだおき
)
を討ちとるまで
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
茨木
(
いばらき
)
の中川瀬兵衛と。——
高槻
(
たかつき
)
の高山右近か」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
茨
常用漢字
小4
部首:⾋
9画
木
常用漢字
小1
部首:⽊
4画
“茨木”で始まる語句
茨木童子
茨木屋
茨木城