オノヅカ)” の例文
日は仲春、空は雨あがりの、サワやかな朝である。高原カウゲンの寺は、人の住む所から、オノヅカら遠く建つて居た。唯凡タダオヨソ、百人の僧俗が、寺中ジチユウに起き伏して居る。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
この神と詞霊とはオノヅカら別であり、詞霊が進んで、八意思兼となつたとは言へないのである。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拝んで居た郎女が、何時かオノヅカら遠旅におびかれ出る形が出て居るのに気づいて、思ひがけぬ事の驚きを、此ごろ新にしたところである。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拜んで居た郎女が、何時かオノヅカら遠旅におびかれ出る形が出て居るのに氣づいて、思ひがけぬ事の驚きを、此ごろ新にしたところである。
山越しの阿弥陀像の画因 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拜んで居た郎女が、何時かオノヅカら遠旅におびかれ出る形が出て居るのに氣づいて、思ひがけぬ事の驚きを、此ごろ新にしたところである。
山越しの弥陀 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
高原カウゲンの寺は、人の住む所から、オノヅカら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
高原カウゲンの寺は、人の住む所から、オノヅカら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
其を聞くと、身狹乳母は、激しく、田舍語部ヰナカカタリベの老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、疊にしがみつき、柱にかき縋る古婆フルバヾを掴み出させた。さうした威高さは、さすがにオノヅカら備つてゐた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
其を聞くと、身狹乳母は、激しく、田舍語部ヰナカカタリベの老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、疊にしがみつき、柱にかき縋る古婆フルバヾを掴み出させた。さうした威高さは、さすがにオノヅカら備つてゐた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
其を聞くと、身狭乳母は、激しく、田舎語部ヰナカカタリベの老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、畳にしがみつき、柱にかきスガ古婆フルババツカみ出させた。さうした威高さは、さすがにオノヅカら備つてゐた。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
古事記の、日本紀と区別せられる一つの大きな点は、宮廷詩——大歌——の由来を説き、又其によつて歴史を説きアカさうとしてゐることである。志都歌にはオノヅカら志都歌としての立ち場があつた。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
オノヅカらその精霊が勢よく我々の前から退去する姿を表す場合が多くあつて、其為に古来神遊びを初めとして、我が国に行はれてをつた幾多の鎮魂の舞踊である所の遊びが、次第に舞ひの方に傾いて
舞ひと踊りと (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
この「とる」と「みる」との二つの観念の間に加つて来、又オノヅカら生じるものがあつて、唯とる・みるとの機械的な接合ではない。古くはとりみるであつたのが、何時か、「みとる」に移つてゐる。
日琉語族論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其のわざを取り用ふれば、オノヅカら 心もそれにうつる恐れあり
橘曙覧評伝 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
オノヅカら其為の新作が生れたと言ふ事もあらう。
橘曙覧評伝 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)