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義輝
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よしてる
ふりがな文庫
“
義輝
(
よしてる
)” の例文
足利
義輝
(
よしてる
)
がまだ室町将軍として健在であった頃から、すでに医として、道三の名は
洛内
(
らくない
)
に高く、その寵遇もうすくなかった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
将軍
義輝
(
よしてる
)
が
弑
(
しい
)
された。三好
長慶
(
ちょうけい
)
が殺された、松永
弾正
(
だんじょう
)
も殺された。今は下克上の世の中だ。信長が義昭を将軍に立てた。しかし間もなく追って
了
(
しま
)
った。その信長も弑されるだろう。
南蛮秘話森右近丸
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
旗本
加頭
(
かとう
)
一家、三人兄弟は、一番上の
義輝
(
よしてる
)
が凄かった。それこそ、巌夫が円朝の怪談ばなしでやるより真の凄味だった。ある日、あたしはお
稽古
(
けいこ
)
がおくれて、日が暮てから帰ってきた。
旧聞日本橋:06 古屋島七兵衛
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
その不忠節は、前代
義輝
(
よしてる
)
将軍も同様であったが、わけても当今
至尊
(
しそん
)
につかえまつる念がうすく、幕臣どもみな王事を
閑却
(
かんきゃく
)
しているふうがある。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中国の武士
山内源五兵衛
(
やまのうちげんごべえ
)
という者が武者修行にあるいていた記載があり、また、十三代将軍
義輝
(
よしてる
)
の天文二十二年に、三好
長慶
(
ながよし
)
との合戦に際して
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
義輝
(
よしてる
)
は、見つけない人間と、聞きつけない言葉とに接したようにその
笑靨
(
えくぼ
)
を、見まもっていた。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
前将軍
義輝
(
よしてる
)
は、松永
弾正
(
だんじょう
)
のために、不意討ちをうけて、その居館の焔の下で
斬死
(
きりじ
)
にした。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼はまた、幾たびか足を運んで
三好長慶
(
みよしながよし
)
の執達を通して、十三代の
義輝
(
よしてる
)
将軍に会った。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ごきげんの
麗
(
うるわ
)
しい日であったとみえ、
義輝
(
よしてる
)
将軍は、初めて会う信長に、よく話した。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
将軍
義輝
(
よしてる
)
を
弑逆
(
しいぎゃく
)
してから、柳生
宗厳
(
むねとし
)
は、彼にもすっかり望みを断って
剣の四君子:02 柳生石舟斎
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“義輝(足利義輝)”の解説
足利 義輝(あしかが よしてる、1536年3月31日〈天文5年3月10日〉- 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)は、室町幕府の第13代征夷大将軍(在職:1547年1月11日〈天文15年12月20日〉 - 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)。初名は義藤(よしふじ)。
(出典:Wikipedia)
義
常用漢字
小5
部首:⽺
13画
輝
常用漢字
中学
部首:⾞
15画
“義”で始まる語句
義
義兄
義理
義姉
義弟
義務
義父
義太夫
義母
義経