竈河岸へっついがし)” の例文
安宅あたけの松の鮨、竈河岸へっついがし毛抜けぬき鮨、深川横櫓よこやぐらの小松鮨、堺町さかいちょう金高かねたか鮨、両国の与兵衛よへえ鮨などが繁昌し、のみならず鮨もだんだん贅沢になって
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
竈河岸へっついがし、浜町、それで田辺の家の方では樽屋たるやのおばさんや大川端の兄を呼んでいた。それを捨吉は涼子に応用した。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
浜町を抜けて明治座前の竈河岸へっついがしを渡れば、芳町よしちょう組合の芸者家の間に打交りて私娼の置家おきやまた夥しくありたり。浜町の女と区別してこれを蠣殻町かきがらちょうといへり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
明治座前に竈河岸へっついがしへかけて橋がかかった。川を離れてその橋じりへまで、芝居茶屋が飛んで建ったほどだ。
広い道を横断よこぎって、お千代は竈河岸へっついがしの方へ曲る細い横町の五、六軒目、深草ふかくさというあかりを出した家の格子戸を明けると、顔を見覚えていた女中が取次に出て
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
町中を流れる黒ずんだ水が見える。空樽あきだるかついでおかから荷舟へ通う人が見える。竈河岸へっついがしに添うてはすに樽屋の店も見える。何もかも捨吉に取っては親しみの深いものばかりだ。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私は二六時中しじゅう見ていても子供だからそんなに大切にしなかったし、おかみさんのおもよというのは、竈河岸へっついがしの竃屋の娘で、おしゃべりでしようのなかった女だから、輝国が死んでから
兜町かぶとちょうの贔屓先へ出稽古に行った帰り道、寒さしのぎに一杯やり、新大橋から川蒸汽で家へ帰ろうと思いながら、雪の景色に気が変り、ふらふらと行く気もなく竈河岸へっついがしの房花家をたずねますと
あぢさゐ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
就中わけても、まだ小娘のように思われていた人達が遽かに姉さんらしく成って来たには驚かされる。そういう人達の中には大伝馬町おおてんまちょうの大勝の娘、それから竈河岸へっついがし樽屋たるやの娘なぞを数えることが出来る。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あの貧乏な勝梅さん(前出、長唄の師匠)の蠣殻町かきがらちょうの家から出ると豊沢団とよざわだんなんとかいう竈河岸へっついがしの義太夫の師匠の表格子にたって、ポカンと中の稽古をきいて過し、びっくりして歩きだして橋を渡ると