窒扶斯チブス)” の例文
三歳の時、私は劇しい窒扶斯チブスに罹つた。さうして朱欒ザボンの花の白くちるかげから通つてゆく葬列を見て初めて私は乳母の死を知つた。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
それでは窒扶斯チブスかも知れなかった。然しそれを産婆は一層はっきりと否定した。けれど彼女にも結局分らないらしかった。
幻の彼方 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
窒扶斯チブスの熱度表のやうな雷光いなづまがぴかりと光つたと思ふと、大隈侯のやうな顔をした雷さまがにこにこもので一人伝右衛門の家へ転げ落ちて来た。
医者は窒扶斯チブスか、肺炎でも起さなければよいがと、貸間の老婆にも注意して行ったが、さいわいにしてそれほどの事もなく、三日目には入院の沙汰さたも止み
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ソレと同時にその歳の二月頃であったが、緒方の塾の同窓、私の先輩で、かねて世話になって居た加州の岸直輔きしなおすけと云う人が、ちょう窒扶斯チブスに罹って中々の難症。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
十九年の十一月頃、ふと風邪ふうじゃおかされ、漸次ぜんじ熱発はつねつはなはだしく、さては腸窒扶斯チブス病との診断にて、病監に移され、治療おこたりなかりしかど、熱気いよいよ強くすこぶ危篤きとくおちいりしかば
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
郷里で開業すると同時に私は同じ村の遠縁に当る家から妻を迎え、翌年義夫よしおという男児を挙げましたが、不幸にして妻は、義夫を生んでから一年ほど後に、腸窒扶斯チブスかかって死にました。
安死術 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
医学士大久保さかえ君が一昨年此処ここの病院で腸窒扶斯チブスで亡くなつたことや、此処ここで亡くなつた日本人の遺骨が数日ぜんペエル・ラセエズの墓の棚の上に置かれてあつたのを見たことやを聯想れんさうして
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)