百夜ももよ)” の例文
また、京都の六角堂は、そこの精舎へ、叡山えいざんから百夜ももよのあいだ、求道ぐどうに燃え、死ぬか生きるかの悲壮なちかいを立てて通ったゆかである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は上賀茂かみがもの神社の後ろの森の中に呪詛じゅその壇を築いて、百夜ももよの間吒幾爾だきに密法みっぽうを行じました。宗盛をのろい殺すために。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「——さるほどに、百夜ももよをかよう少将の、笠にふる雪、つもる雪、恋の重さにかたぶきて、涙のつららとけやらぬ、君の心はうきよ河、渡るこなたは深草の」
それにえあたしゃそこらにてた、れた草鞋わらじもおんなじような、水茶屋みずぢゃや茶汲ちゃくむすめ百夜ももよみちかよったとて、おまえって、昔話むかしばなしもかなうまい。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
二人は日文ひぶみを書き、人橋を架け、組頭の家の前まで、百夜ももよも通って、無言のセレナーデを献じました。
“スバル”派の詩人たちだのに百夜ももよがよいをさせた女たちのうわさでもなく、ずッとそれより近世になってからの、明治製菓の売店に起った殺人事件についてだろう……
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「だめです。彼も侍です。たとえそれがしが、百夜ももよ通っても、節義を変える武士ではありません」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
馬鹿な深草の少将が百夜ももよ通いをする熱心さで、さる大学の文科を卒業するまで、実に三ヶ年の間、本郷の通りのさる小さい西洋料理屋のライス・カレーを食べ続けたのであります。