“白鵠”のいろいろな読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
びやくこふ | 22.2% |
クヾヒ | 22.2% |
びやくかう | 11.1% |
くゞひ | 11.1% |
しろくぐい | 11.1% |
はくちょう | 11.1% |
シラトリ | 11.1% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“白鵠”の解説
白鵠(はくこく)とは、中国の後漢末期に活躍した馬の名前。曹洪の乗馬。葦毛馬であった。白鶴とも。
『三国志』にはその名は登場しないが、後秦の王嘉が書いた『拾遺記』、『太平御覧』などに記されている。『拾遺記』には、「疾走すると風の音が耳に鳴るばかり、足が地面を踏まないかのような名馬」であったとされる。
初平元年(190年)の董卓討伐戦の時、曹操は徐栄に大敗し敵軍に追撃された。この時、曹洪は白鵠に乗っており、馬を失った曹操に馬を譲ろうとした。曹操は最初は辞退したが、曹洪は「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と直言して曹操に馬をゆずり、自分は徒歩で曹操に付き従い、闇に紛れて逃げ延びた。
(出典:Wikipedia)
『三国志』にはその名は登場しないが、後秦の王嘉が書いた『拾遺記』、『太平御覧』などに記されている。『拾遺記』には、「疾走すると風の音が耳に鳴るばかり、足が地面を踏まないかのような名馬」であったとされる。
初平元年(190年)の董卓討伐戦の時、曹操は徐栄に大敗し敵軍に追撃された。この時、曹洪は白鵠に乗っており、馬を失った曹操に馬を譲ろうとした。曹操は最初は辞退したが、曹洪は「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と直言して曹操に馬をゆずり、自分は徒歩で曹操に付き従い、闇に紛れて逃げ延びた。
(出典:Wikipedia)