“白鵠”の解説
白鵠(はくこく)とは、中国の後漢末期に活躍した馬の名前。曹洪の乗馬。葦毛馬であった。白鶴とも。
『三国志』にはその名は登場しないが、後秦の王嘉が書いた『拾遺記』、『太平御覧』などに記されている。『拾遺記』には、「疾走すると風の音が耳に鳴るばかり、足が地面を踏まないかのような名馬」であったとされる。
初平元年(190年)の董卓討伐戦の時、曹操は徐栄に大敗し敵軍に追撃された。この時、曹洪は白鵠に乗っており、馬を失った曹操に馬を譲ろうとした。曹操は最初は辞退したが、曹洪は「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と直言して曹操に馬をゆずり、自分は徒歩で曹操に付き従い、闇に紛れて逃げ延びた。
(出典:Wikipedia)
『三国志』にはその名は登場しないが、後秦の王嘉が書いた『拾遺記』、『太平御覧』などに記されている。『拾遺記』には、「疾走すると風の音が耳に鳴るばかり、足が地面を踏まないかのような名馬」であったとされる。
初平元年(190年)の董卓討伐戦の時、曹操は徐栄に大敗し敵軍に追撃された。この時、曹洪は白鵠に乗っており、馬を失った曹操に馬を譲ろうとした。曹操は最初は辞退したが、曹洪は「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と直言して曹操に馬をゆずり、自分は徒歩で曹操に付き従い、闇に紛れて逃げ延びた。
(出典:Wikipedia)