癸亥きがい)” の例文
二百五十余年、一定不変となづけたる権力に平均を失い、その事実にあらわれたるものは、この度の事件をもって始とす。(事は文久三癸亥きがいの年に在り)
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
これ去年癸亥きがい七月十二日わが狎友こうゆう唖々子ああし井上精一君が埋骨のところなり。門に入るに離々たる古松の下に寺の男の落葉掃きゐたれば、井上氏の塋域えいいきを問ふ。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
米庵の西征日乘中せいせいにちじようちゆう癸亥きがい十月十七日の條に、「十七日、到島田、訪桑原苾堂已宿」と記してある。癸亥は享和三年で、安永八年生れの米庵が二十五歳、天明四年生の苾堂が二十歳の時である。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
大倭朝やまとちょう天平宝字てんぴょうほうじねん癸亥きがいがつおいて西海さいかい火国ひのくに末羅潟まつらがた法麻殺几駅はまさきえきに
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
大正癸亥きがいの大震前後、没した。
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
下谷の家は去年癸亥きがい九月の一日、東京市の大半を灰にした震後の火にかれてしまった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかしこの貴重なる記録は壮時の詩稿と合せて共に大正癸亥きがいの災禍に烏有うゆうとなった。今日毅堂の生涯を窺知うかがいしるべき資料は『薄遊吟草』一巻。『親灯余影』四巻。『毅堂丙集』五巻。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わが東京の市内に残りし古碑断碣だんけつ、そのなかば癸亥きがいとしの災禍に烏有うゆうとなりぬ。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
しかしこれら市中の溝渠は大かた大正十二年癸亥きがいの震災前後、街衢がいくの改造されるにつれて、あるいは埋められ、あるいは暗渠となって地中に隠され、旧観を存するものは殆どないようになった。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大正癸亥きがいの年の夏、女記者お何といふものあり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
大正十二年癸亥きがい十一月稿
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)