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甲寅
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こういん
ふりがな文庫
“
甲寅
(
こういん
)” の例文
その二には「至善院格誠日在、寛保二年
壬戌
(
じんじゅつ
)
七月二日」と一行に彫り、それと並べて「終事院菊晩日栄、嘉永七年
甲寅
(
こういん
)
三月十日」
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
天文二十三年
甲寅
(
こういん
)
八月、筑摩織部正則重は、領内の城主
横輪豊前守
(
よこわぶぜんのかみ
)
が
叛逆
(
はんぎゃく
)
の報を聞いて、自ら七千騎の兵に将として
月形
(
つきがた
)
の城を攻略に向った。
武州公秘話:01 武州公秘話
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
安政元年
甲寅
(
こういん
)
三月二十七日、下田において米艦に搭ぜんと欲して果さず。三月、神奈川条約成る。四月十五日、
檻輿
(
かんよ
)
江戸に達す。九月十八日、罪案定りて藩に囚わる。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
また「
慶長
(
けいちょう
)
甲寅
(
こういん
)
」の塚石は、その死骸を扱った小者が、ピオの死後、その土壌から鶏血草が咲いたため、迷信をおこして、病むものが多くひそかに計らって建てたものであった。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「寿松院妙遠日量信女、文政十二
己丑
(
きちゅう
)
六月十四日」とあるのは、抽斎の生母
岩田氏
(
いわたうじ
)
縫
(
ぬい
)
、「妙稟童女、父名允成、母川崎氏、寛政六年
甲寅
(
こういん
)
三月七日、三歳而夭、俗名逸」
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
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今
甲寅
(
こういん
)
の歳より
壬戌
(
じんじゅつ
)
の歳まで天下国家の事をいわず、蘇秦、張儀の術をなさず、
退
(
しりぞ
)
いては
蠧魚
(
とぎょ
)
と
為
(
な
)
り、進んでは天下を
跋渉
(
ばっしょう
)
し、形勢を熟覧し、以て他年報国の基を
為
(
な
)
さんのみ。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
「祖父の蘭岳が、お
上
(
かみ
)
の命をうけて、人参を移植いたした当時に、慶長
甲寅
(
こういん
)
という年号を
刻
(
こく
)
した石がその塚より出たと申しておりました。いつかそれも埋没して近頃では見当りませぬ」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
癸丑
(
きちゅう
)
、
甲寅
(
こういん
)
は一大機会なりしに、
乃
(
すなわ
)
ち坐してこれを失う。然れども事
已
(
すで
)
に
往
(
い
)
けり。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
“甲寅”の解説
甲寅(きのえとら、こうぼくのとら、こういん)は、干支の一つ。
干支の組み合わせの51番目で、前は癸丑、次は乙卯である。陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の寅は陽の木で、比和である。
(出典:Wikipedia)
甲
常用漢字
中学
部首:⽥
5画
寅
漢検準1級
部首:⼧
11画
“甲”で始まる語句
甲斐
甲
甲板
甲冑
甲高
甲羅
甲虫
甲走
甲斐性
甲斐甲斐