田野でんや)” の例文
佐々と前田の戦争は、ことしも吉例のように四、五月頃から諸所に兵火をあげ、相互に、一じょうるいを奪いあって、馬蹄ばていにかからぬ田野でんやもなかった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
例へば山嶽さんがく河海かかい郊原こうげん田野でんや、一も順序ある者なし。故にこれに命名せんと欲せば人間の見聞し得る所の処一々に命名せざるべからず。地名これなり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
そして又もや後には、街道と、半蓋馬車ブリーチカと、読者もお馴染の三頭の馬と、セリファンと、チチコフと、茫邈ぼうばくたる界隈の田野でんやががらんとして取り残されたのである。
また大いにおもむきを異にして、あちらは、四方山に囲まれた甲府盆地の一角であるのに、これは、田野でんや遠く開けて、水勢はなはだ豊かに、どちらを向いても、さっぱり山というものは見えないようです。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
方孝孺は如何いかなる人ぞや。孝孺あざな希直きちょく、一字は希古きこ寧海ねいかいの人。父克勤こくきん済寧せいねい知府ちふたり。治を為すに徳をもととし、心をくるしめて民のためにす。田野でんやひらき、学校を興し、勤倹身を持し、敦厚とんこう人を待つ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
六昼夜も燃えつづいた火に、高岡城はまったくの裸城はだかじろとなった。城外の田野でんや民屋みんおく、みな焼け野原と化してしまった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田野でんや貧屋ひんおくに馳せ、ままならぬ世態と、国の久遠くおんの先の先まで、憂いかなしみ、また信じたり希望したり、そして酒も尽き興もつきれば、詩を吐いて
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田野でんや黄童こうどう白叟はくそうが何を知ろうぞ。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)