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玄冶店
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げんやだな
ふりがな文庫
“
玄冶店
(
げんやだな
)” の例文
なに
蝙蝠
(
こうもり
)
の形に似て居ますって? 私の名は「
安
(
やす
)
」ではありませんよ。
玄冶店
(
げんやだな
)
の
妾宅
(
しょうたく
)
に比べるとちとこの法医学教室は殺風景過ぎます。
三つの痣
(新字新仮名)
/
小酒井不木
(著)
外に立っている男は、
唐桟
(
とうざん
)
の襟のついた
半纏
(
はんてん
)
を着て、
玄冶店
(
げんやだな
)
の
与三
(
よさ
)
もどきに、手拭で頬かむりをしたがんりきの百蔵であります。
大菩薩峠:21 無明の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
洗い髪同様の髪を
玄冶店
(
げんやだな
)
のお
富
(
とみ
)
式にうしろに投げ卸して、その先を三つ組にして輪飾りの七五三のようにしているのがある。
東京人の堕落時代
(新字新仮名)
/
夢野久作
、
杉山萠円
(著)
帝劇で一谷と
玄冶店
(
げんやだな
)
とを見る。一の谷。この前市村で吉右衛門のを見た。その時の方が幸四郎の熊谷よりよかった。
日記:13 一九二七年(昭和二年)
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
水溜りに取られまいと
千鳥脚
(
ちどりあし
)
を踏み締めながら、ただひとり住吉町を
玄冶店
(
げんやだな
)
へ切れて長谷川町へ出るころには、通行人が振り返って見るほどへべれけに酔い
痴
(
し
)
れていた。
釘抜藤吉捕物覚書:07 怪談抜地獄
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
専業の
幇間
(
ほうかん
)
で、当時山城河岸の家へ出入していたものは、桜川善孝、
荻江
(
おぎえ
)
千代作、都千国、
菅野
(
すがの
)
のん子等である。千国は初の名が荻江露助、後に千中と云う。
玄冶店
(
げんやだな
)
に住んでいた。
細木香以
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
あくる年の春早々、次郎吉の病癒ゆるを待って当時豪放豪快な画風を以て江戸八百八町に名を諷われていた浮世絵師
一勇齋国芳
(
いちゆうさいくによし
)
——その国芳の
玄冶店
(
げんやだな
)
の住居へと、内弟子に預けたのだった。
小説 円朝
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
玄冶店
(
げんやだな
)
にいた
国芳
(
くによし
)
が、
豊国
(
とよくに
)
と合作で、大黒と
恵比寿
(
えびす
)
が
角力
(
すもう
)
をとっているところを書いてくれたが、
六歳
(
むっつ
)
か
七歳
(
ななつ
)
だったので、
何時
(
いつ
)
の間にかなくなってしまった。画会なぞに、
広重
(
ひろしげ
)
も来たのを覚えている。
旧聞日本橋:22 大門通り界隈一束(続旧聞日本橋・その一)
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
外出する時はお梅さんという
玄冶店
(
げんやだな
)
の髪結いに番を入れさせ、水々した
大丸髷
(
おおまるまげ
)
を結い、金具に真珠を
鏤
(
ちりば
)
めた、ちょろけんの
蟇口型
(
がまぐちがた
)
の丸いオペラバックを
提
(
さ
)
げ、どこともいわず昼間出て行くのだったが
縮図
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
遊民というのは、
玄冶店
(
げんやだな
)
の芝居に出てくるような種類の人。赤間の源左衛門もいれば、切られないの
与三
(
よさ
)
もいる。お富を一段上へ行ったようなお角がいないのが物足りない。
大菩薩峠:23 他生の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
がんりきの百蔵は、
唐桟
(
とうざん
)
の
半纏
(
はんてん
)
かなにかで、
玄冶店
(
げんやだな
)
の
与三
(
よさ
)
もどきに、ちょっと気取って
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
それは
玄冶店
(
げんやだな
)
の与三郎もどきの文句でありました。その文句でお角が気がついて
大菩薩峠:19 小名路の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
“玄冶店”の解説
玄冶店(げんやだな)は、江戸・日本橋界隈の古くからの地名もしくは通りの俗称名である。
(出典:Wikipedia)
玄
常用漢字
中学
部首:⽞
5画
冶
常用漢字
中学
部首:⼎
7画
店
常用漢字
小2
部首:⼴
8画
“玄冶店”で始まる語句
玄冶店大喜利