浦廻うらみ)” の例文
「竹敷の浦廻うらみ黄葉もみぢわれ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ」(同・三七〇二)という歌を作って居り、対馬娘子つしまのおとめ玉槻たまつきという者が
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
風速かざはやの三浦廻うらみ、貝島のこの高殿は、あめなるや不二をふりさけ、清見潟満干みちひの潮に、朝日さし夕日照りそふ。
(新字旧仮名) / 北原白秋(著)
また、巻三(四三四)に、『風速かざはやの美保の浦廻うらみ白躑躅しらつつじ見れども不怜サブシ亡き人思へば』の第四句は、『或云、見者ミレバ悲霜カナシモ無き人思ふに』
『さびし』の伝統 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
風速かざはやの三保の浦廻うらみ貝島かひじまのこの高殿は、天なるや不二をふりさけ、清見潟満干の潮に、朝日さし夕日てりそふ。
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
葛飾かつしかの真間の浦廻うらみぐ船の船人さわぐ浪立つらしも」(巻十四・三三四九)という東歌(下総国歌)があるのに、巻七(一二二八)に
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
朝羽振る沖つしら浪辺に寄ると揺りとよもせりすが浦廻うらみ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「玉津島磯の浦廻うらみ真砂まなごにもにほひて行かな妹がりけむ」(巻九・一七九九)、「相模路さがむぢ淘綾よろぎの浜の真砂まなごなす児等こらかなしく思はるるかも」(巻十四・三三七二)等の例がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
星あかりしぬぐ子か黒船のとも出はづれて広き浦廻うらみ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)