と遺言して正念たがわず、合掌乱るることなく念仏を高声に数十遍称えて美事に往生をした。
分別は二義である。人は彼の沈黙において自然の言葉を聞かねばならぬ。無想に勝る有想があろうか。無念のみが正念である。この境に入ることなくして、何の安心があろうか、何の静寂があろうか。
“正念”の意味
“正念(サティ(仏教))”の解説
パーリ語でサティ(pi: sati、sa: smṛti:スムリティ)とは、特定の物事を心に(常に)留めておくことである。日本語ではや、気づき、英語ではマインドフルネス (mindfulness)などと表現する。漢訳で念。仏教の実践において正念(しょうねん、sammā-sati)とは、の一つとして重視される。正しい念は、三十七道品のなかのなどにおける念とあるように、基本概念の一つである。対象に執着あるいは嫌悪などの価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、仏教における瞑想の基礎的な技術の一つであり、念を深めると心が固定され、何事にも惑わされないの状態に至るとされる。
(出典:Wikipedia)
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