樹下闇このしたやみ)” の例文
辰が天岳院前の樹下闇このしたやみに立停まると、そこに男が一人駕籠を下ろして待っていた。三次が遠くから透かし見たところでは、痩形やせがたの、身長せいの高い若い駕籠屋であった。
けれども、稚市自身はどうしたことか、両腕をグングン舵機のように廻しながら、おりおり滝人のほうを眺め、ほとんど無我夢中に、前方の樹下闇このしたやみの中に這い込もうとしている。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
吠えかかった山犬のむれは、たちまち、千浪の得物を打ち落し、次に、彼女の体を、なみがしらへ泛かべたように、軽々とかついで、例の、陰々とした樹下闇このしたやみの細道へどッと走りこんだ。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、其処に化石した人間のように立ち止まって、葉桜の樹下闇このしたやみを、ほの/″\と照し出しながら、遠く去って行く自動車の車台の後の青色の灯を、何時いつまでも何時までも見送っていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
が、さう決心した刹那に、もう自動車は、公園の蒼い樹下闇このしたやみを、後に残して、上野山下に拡がる初夏の夜、さうだ、ゆたかに輝ける夏の夜の描けるが如き、光と色との中に、馳け入つてゐるのだつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
が、そう決心した刹那せつなに、もう自動車は、公園のあお樹下闇このしたやみを、後に残して、上野山下にひろがる初夏の夜、そうだ、豊に輝ける夏の夜の描けるがごとき、光と色との中に、け入っているのだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
彼女は、さわやかな声を残しながら、戸外のやみに滑り入った。が、自動車が英国大使館前の桜並樹なみき樹下闇このしたやみを縫うている時だった。彼女のおもてには、父の危篤きとくうれうるような表情は、あととどめていなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)