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楠木正成
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くすのきまさしげ
ふりがな文庫
“
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)” の例文
軽視の風がある
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
も、赤坂から
千早
(
ちはや
)
への築城を完了し、金剛山一帯は、今やひとつの
連鎖
(
れんさ
)
陣地をなして来たともつたえている。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
味方はわずか三隻、この小さい艦隊をひきいて、小笠原島に進む木下大佐の心は、
湊川
(
みなとがわ
)
の戦場に向う、六百年前の、
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
の心とちがわない。
昭和遊撃隊
(新字新仮名)
/
平田晋策
(著)
皆は茶店の
媼
(
ばあ
)
さんの手から、渋茶を受取つて
咽喉
(
のど
)
を潤した。そしていゝ気になつて
長髄彦
(
ながすねひこ
)
や
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
の話をした。
茶話:05 大正八(一九一九)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
河内国
(
かわちのくに
)
赤坂の地へ、
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
が城を築き、宮方ご加担武家討伐の、義兵を挙げたのはこの頃であった。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
も、いちごの大事にたち向かう覚悟はできていた、そのときを前にして、禅僧の門を敲くなどということはある筈がない、これは、恵林寺の僧の逸話と同じように
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
▼ もっと見る
見た眼にも
綺麗
(
きれい
)
で、まあ新講談と思えば、講談の奇想天外にはまた捨てがたいところもあるのだから、楽しく読めることもあるけれど、あの、深刻そうな、人間味を持たせるとかいって、
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
が
鉄面皮
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
世は
戦
(
いくさ
)
に次ぐ戦であった。
建武
(
けんむ
)
の平和もつかの間でしかなかった。
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
、弟
正氏
(
まさうじ
)
たち一族の
夥
(
おびただ
)
しい戦死が聞えた後も、乱は
熄
(
や
)
まなかった。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
でも、桂子も鬼火の
姥
(
うば
)
と同じに、大塔宮様や
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
が、討ち死にしたものとは思わなかった。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
それほどな
貴方
(
あなた
)
、また水戸の老公ほどなお方が、碑をたて、世に
顕
(
あらわ
)
そうとまで、崇拝しておられる
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
とは、いったい、どれほど偉かった人物でしょうか。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大塔宮
(
だいとうのみや
)
が吉野に城を築き、
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
が千早に城を築き、前後して兵を挙げたことである。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
どっちにしろ、鎌倉の
錚々
(
そうそう
)
十二大将が、ただひとりの
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
を、こうまで持てあましてきた帰結が、ついに足もとの大地盤を先に失う日をいま見てしまったこととしか言いようはない。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけてかれがもっとも
景仰
(
けいこう
)
しておかないひとは、
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
であった。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
延元
(
えんげん
)
の
役
(
えき
)
に、
楠木正成
(
くすのきまさしげ
)
が最期をとげた地と伝えられている。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
楠
漢検準1級
部首:⽊
13画
木
常用漢字
小1
部首:⽊
4画
正
常用漢字
小1
部首:⽌
5画
成
常用漢字
小4
部首:⼽
6画
“楠木正成”で始まる語句
楠木正成公
楠木正成宛
楠木正成霊