楠木正成くすのきまさしげ)” の例文
軽視の風がある楠木正成くすのきまさしげも、赤坂から千早ちはやへの築城を完了し、金剛山一帯は、今やひとつの連鎖れんさ陣地をなして来たともつたえている。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
味方はわずか三隻、この小さい艦隊をひきいて、小笠原島に進む木下大佐の心は、湊川みなとがわの戦場に向う、六百年前の、楠木正成くすのきまさしげの心とちがわない。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
皆は茶店のばあさんの手から、渋茶を受取つて咽喉のどを潤した。そしていゝ気になつて長髄彦ながすねひこ楠木正成くすのきまさしげの話をした。
河内国かわちのくに赤坂の地へ、楠木正成くすのきまさしげが城を築き、宮方ご加担武家討伐の、義兵を挙げたのはこの頃であった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
楠木正成くすのきまさしげも、いちごの大事にたち向かう覚悟はできていた、そのときを前にして、禅僧の門を敲くなどということはある筈がない、これは、恵林寺の僧の逸話と同じように
見た眼にも綺麗きれいで、まあ新講談と思えば、講談の奇想天外にはまた捨てがたいところもあるのだから、楽しく読めることもあるけれど、あの、深刻そうな、人間味を持たせるとかいって、楠木正成くすのきまさしげ
鉄面皮 (新字新仮名) / 太宰治(著)
世はいくさに次ぐ戦であった。建武けんむの平和もつかの間でしかなかった。楠木正成くすのきまさしげ、弟正氏まさうじたち一族のおびただしい戦死が聞えた後も、乱はまなかった。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
でも、桂子も鬼火のうばと同じに、大塔宮様や楠木正成くすのきまさしげが、討ち死にしたものとは思わなかった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それほどな貴方あなた、また水戸の老公ほどなお方が、碑をたて、世にあらわそうとまで、崇拝しておられる楠木正成くすのきまさしげとは、いったい、どれほど偉かった人物でしょうか。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大塔宮だいとうのみやが吉野に城を築き、楠木正成くすのきまさしげが千早に城を築き、前後して兵を挙げたことである。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
どっちにしろ、鎌倉の錚々そうそう十二大将が、ただひとりの楠木正成くすのきまさしげを、こうまで持てあましてきた帰結が、ついに足もとの大地盤を先に失う日をいま見てしまったこととしか言いようはない。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけてかれがもっとも景仰けいこうしておかないひとは、楠木正成くすのきまさしげであった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
延元えんげんえきに、楠木正成くすのきまさしげが最期をとげた地と伝えられている。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)