柴田勝家しばたかついえ)” の例文
さきには、きたしょうめて、一きょ柴田勝家しばたかついえ領地りょうち攻略こうりゃくし、加賀かがへ進出しては尾山おやましろに、前田利家まえだとしいえめいをむすんで味方みかたにつけた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、柴田勝家しばたかついえの居城のあとは、市の東南の方角に在って、明治四十年までは石垣なども残っていたが、四十年になって市中を流れている足羽川あすばがわを改修したので、大半は川の底になってしまった。
首のない騎馬武者 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
菊村宮内は、もと柴田勝家しばたかついえ家中かちゅうでも、重きをなしていた武将であったが、そういう世のありさまをながめると、まことに心がかなしくなった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さっき市の雑沓のなかで、博労ばくろうにどなられたのは、信長だった。従者は柴田勝家しばたかついえである。もちろん微行びこうで、その偽装ぎそうにも細心な気をくばっている。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれの存在は、去年、しずたけの戦につづき、かれが一味した柴田勝家しばたかついえ神戸信孝かんべのぶたかが、相次いで滅亡したときから——忽然こつぜんと時代の中心から抹消まっしょうされていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きたしょう柴田勝家しばたかついえ、こいつもなかなか指をくわえてはいまい。いまに秀吉と、のるかそるかの大勝負だ。……ウム、のるかそるかはおれのこと、手ぶらで都入みやこいりも気がきかない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きたしょうの落城の日、養父の柴田勝家しばたかついえや、実母のおいちかたが世を去る煙をうしろに見て、北越ほくえつの陣中からこの大坂へ移され、西を見ても東を見ても知らぬ者ばかりの中で、ひと頃は
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長麾下きかの宿将たちの立場を見るに、第一に指を屈すべきは柴田勝家しばたかついえであるが、折から彼は、越中に出征中で、本能寺の事あった翌日六月三日でさえ、まだ京都の凶変を知らずに
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柴田勝家しばたかついえ
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)