あきたら)” の例文
しかし考へて見ると、白川はあきたらなさを思はざるを得なかつた。自分のこれほどの熱心がまだ松村を動かすに足らないのであらうか。
瘢痕 (新字旧仮名) / 平出修(著)
栄次郎は妹が自分たち夫婦にあきたらぬのを見て、妹に壻を取って日野屋の店を譲り、自分は浜照を連れて隠居しようとしたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これに名づけて自らあきたらざる情ともいふべきか。こは我慾火の勢を得て、我智慧をくにやあらん。
「文章は無䨇也」の一句は茶山が傾倒の情を言ひ尽してゐる。傾倒の情いよ/\深くして、其疵病しびやうあきたらぬ感も愈切ならざるを得ない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此挨拶はもとより我心にあきたらねど、われは又恩惠のために口を塞がれたり。少年は我方に向ひぬ。さらばわれ自ら我身を紹介すべし。おん身の何人たるは我既に知れり。我名はジエンナロなり。
史上の人物は和気清麿で、蘭軒は此公にあきたらざるものがあつたやうである。「奉神忽破托神策。何知従来不巧機。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一とせの間のつひえをば、われいかにともすべし。此館にありし間の我等の待遇には、おん身は或はあきたらざりしならん。されど又世間に出でゝは、誠の心もておん身を待つ人少きことを忘れ給ふな。
漢名和名の詮議が無用だとする説は、これを推し拡めて行くと、古典は無用だとする説に帰着するであらう。今の博物学の諸大家の説にあきたらざる所以である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
然るに勝三郎は東京座における勝四郎のつとめぶりにあきたらなかった。そして病のために気短きみじかになっている勝三郎と勝四郎との間に、次第に繕いがたい釁隙きんげきを生じた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ただ「撰経籍訪古志」に訓点を施して、経籍を撰び、古志をうとませてあるのにあきたらなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて慷慨かうがいし、所謂いはゆる万機一新の朝廷の措置に、やゝもすれば因循の形迹けいせきあらはれ、外国人が分外ぶんぐわいの尊敬を受けるのをあきたらぬことに思つた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
この話を持ち込まれた時、末造は自分の思わくの少し違って来たのをあきたらず思った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
わたくしは壽阿彌の手紙と題する此文を草してまさに稿ををはらむとした。然るに何となく心にあきたらふしがあつた。何事かは知らぬが、まさすべくして做さざる所のものがあつて存する如くであつた。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)