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慊
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あきたら
ふりがな文庫
“
慊
(
あきたら
)” の例文
しかし考へて見ると、白川は
慊
(
あきたら
)
なさを思はざるを得なかつた。自分のこれほどの熱心がまだ松村を動かすに足らないのであらうか。
瘢痕
(新字旧仮名)
/
平出修
(著)
栄次郎は妹が自分たち夫婦に
慊
(
あきたら
)
ぬのを見て、妹に壻を取って日野屋の店を譲り、自分は浜照を連れて隠居しようとしたのである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
これに名づけて自ら
慊
(
あきたら
)
ざる情ともいふべきか。こは我慾火の勢を得て、我智慧を
燬
(
や
)
くにやあらん。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
「文章は無䨇也」の一句は茶山が傾倒の情を言ひ尽してゐる。傾倒の情
愈
(
いよ/\
)
深くして、其
疵病
(
しびやう
)
に
慊
(
あきたら
)
ぬ感も愈切ならざるを得ない。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
此挨拶は
固
(
もと
)
より我心に
慊
(
あきたら
)
ねど、われは又恩惠のために口を塞がれたり。少年は我方に向ひぬ。さらばわれ自ら我身を紹介すべし。おん身の何人たるは我既に知れり。我名はジエンナロなり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
▼ もっと見る
史上の人物は和気清麿で、蘭軒は此公に
慊
(
あきたら
)
ざるものがあつたやうである。「奉神忽破托神策。何知従来不巧機。」
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
一とせの間の
費
(
つひえ
)
をば、われいかにともすべし。此館にありし間の我等の待遇には、おん身は或は
慊
(
あきたら
)
ざりしならん。されど又世間に出でゝは、誠の心もておん身を待つ人少きことを忘れ給ふな。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
漢名和名の詮議が無用だとする説は、これを推し拡めて行くと、古典は無用だとする説に帰着するであらう。今の博物学の諸大家の説に
慊
(
あきたら
)
ざる所以である。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
然るに勝三郎は東京座における勝四郎の
勤
(
つとめ
)
ぶりに
慊
(
あきたら
)
なかった。そして病のために
気短
(
きみじか
)
になっている勝三郎と勝四郎との間に、次第に繕いがたい
釁隙
(
きんげき
)
を生じた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
ただ「撰経籍訪古志」に訓点を施して、経籍を撰び、古志を
訪
(
と
)
うと
訓
(
よ
)
ませてあるのに
慊
(
あきたら
)
なかった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて
慷慨
(
かうがい
)
し、
所謂
(
いはゆる
)
万機一新の朝廷の措置に、
動
(
やゝ
)
もすれば因循の
形迹
(
けいせき
)
が
見
(
あらは
)
れ、外国人が
分外
(
ぶんぐわい
)
の尊敬を受けるのを
慊
(
あきたら
)
ぬことに思つた。
津下四郎左衛門
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
この話を持ち込まれた時、末造は自分の思わくの少し違って来たのを
慊
(
あきたら
)
ず思った。
雁
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
わたくしは壽阿彌の手紙と題する此文を草して
將
(
まさ
)
に稿を
畢
(
をは
)
らむとした。然るに何となく心に
慊
(
あきたら
)
ぬ
節
(
ふし
)
があつた。何事かは知らぬが、
當
(
まさ
)
に
做
(
な
)
すべくして做さざる所のものがあつて存する如くであつた。
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
慊
漢検1級
部首:⼼
13画
“慊”を含む語句
慊焉
慊堂
松崎慊堂
御気慊
不気慊
多不慊己意
慊叟
気慊
猶慊