後妻こうさい)” の例文
父が後妻こうさいとし私がため繼母まゝはゝなりしも家は段々衰へて父は四年以前より苟且かりそめの病ひにて打臥うちふしたるが家の事打任うちまかせたる彼のお早どのは夫の病氣を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
母はやや安堵あんどの胸をなでけるが、なおこの上は全快を待ちて一応顔をも見、また戦争済みたらば武男がために早く後妻こうさいを迎うるの得策なるを思いぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
これに反して瑞仙の家には後妻こうさいがあり、又十四歳になる先妻のむすめ千代がゐて、当歳の祐二の世話をする便たつきがあつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
後妻こうさいを勧むる人あるを幸いに、お袖がてうど八ツの歳今の継母を迎へしなり。
小むすめ (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が後妻こうさいにとおぼろげならず言いでしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六げつにおける日清にっしんの間よりも危うく、彼出いだすか、われづるか
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
「釈智秀信女、同(瑞仙)長女、同(寛政)五癸丑七月廿一日、二十歳」と記するものが是である。瑞仙は先妻妙仙に二女があつて皆早世し、後妻こうさい寿慶は子を産まずして死んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
追出し候故私し儀惣内方後見こうけんも致しをり候間介抱かいはう人に相成娘儀むすめぎは惣内妻に致させ候然る處九助儀は江戸表より同道どうだう仕つり候哉又は途中とちうより連參つれまゐり候哉せつと申女を引入ひきいれ直樣すぐさま後妻こうさいに仕つり候全く此節を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
玄碩のはじめさい某氏には子がなかった。後妻こうさい寿美すみ亀高村喜左衛門かめたかむらきざえもんというものの妹で、仮親かりおや上総国かずさのくに一宮いちのみやの城主加納かのう遠江守久徴ひさあきらの医官原芸庵はらうんあんである。寿美が二女を生んだ。長をかんといい、次を鉄という。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
比良野貞固の家では、この年後妻こうさい照がりゅうというむすめを生んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)