式日しきじつ)” の例文
何時いつの事なるやと有に多兵衞それは享保きやうほ二年の夏五月端午たんご式日しきじつ私し出入屋敷やしき嘉川主税之助樣親類中へれい廻勤くわいきん致され候故私し徒士かち
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これと同時に抽斎は式日しきじつ登城とじょうすることになり、次いで嘉永かえい二年に将軍家慶いえよしに謁見して、いわゆる目見めみえ以上の身分になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
くれる方も貰う方も皆僕が手がけましたから、結納ゆいのううだの式日しきじつなんの日が宜いのと故実こじつに通じてしまって、この方も人が訊きに来ます。妙なものですよ。
冠婚葬祭博士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
五六年前には、式日しきじつ以外いがい女生のはかまなど滅多に見たこともなかったが、此頃では日々の登校にも海老茶えびちゃが大分えた。小学校に女教員が来て以来の現象である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
主として秋の感謝祭の日に今年米ことしごめを粉にして作るのだが、正月その他の式日しきじつにも用いることがある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
次いで嗣子貞固さだかたが目附から留守居に進んだ。津軽家の当時の職制より見れば、いわゆる独礼どくれいはんに加わったのである。独礼とは式日しきじつに藩主に謁するに当って、単独に進むものをいう。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
殊に毎年の節供せっくという式日しきじつの価値が、漸次ぜんじ稀薄きはくとならざるを得なかった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)