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幸手
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さって
ふりがな文庫
“
幸手
(
さって
)” の例文
埼玉県の東部で幽霊花またはシンダモンバナ(『
幸手
(
さって
)
方言誌』)。徳島県の方にもユウレングサまたはチャンチャンボなどという異名もある。
野草雑記・野鳥雑記:01 野草雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
翌朝、
幸手
(
さって
)
から栗橋にかかり、渡舟の上からながめると、両岸は眼のとどくかぎり掘りかえされて赤土原になり、一点、青いものも眼に入らない。
奥の海
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
「大層長かった」間に荒療治はなし遂げられたにちがいない。仕方がないので伴蔵は大風雨の晩、
幸手
(
さって
)
堤へ呼び出してとうとうおみねをバッサリ殺ってしまう。
我が円朝研究:「怪談牡丹灯籠」「江島屋騒動」「怪談乳房榎」「文七元結」「真景累ヶ淵」について
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
翌三十日は粕壁、松戸を経て、
幸手
(
さって
)
の
駅
(
しゅく
)
に入り、釜林という宿屋に泊まる。まことに気の長い道中である。
寄席と芝居と
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
江戸から二里で
千住
(
せんじゅ
)
。おなじく二里で
草加
(
そうか
)
。それから
越
(
こし
)
ヶ
谷
(
や
)
、
粕壁
(
かすかべ
)
、
幸手
(
さって
)
で、ゆうべは栗橋の泊り。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
幸手
(
さって
)
の網屋で今宵は別盃を酌もうと云い出し、抜け道をとってそっちへ廻った。
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その頃訴訟のため
度々
(
たびたび
)
上府した
幸手
(
さって
)
の大百姓があって、或年財布を忘れて帰国したのを喜兵衛は大切に保管して、翌年再び上府した時、財布の
縞柄
(
しまがら
)
から金の員数まで一々細かに尋ねた後に返した。
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
久「ヤアお
内儀
(
かみ
)
さま、大きに無沙汰を致しやした、ちょっくり来るのだアけど今ア荷い積んで
幸手
(
さって
)
まで急いでゆくだから、寄っている訳にはいきましねえが、
此間
(
こないだ
)
は
小遣
(
こづかい
)
を下さって有難うごぜえます」
怪談牡丹灯籠:04 怪談牡丹灯籠
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
現に埼玉県の東部農村には、小麦粉を取ったあとの糟を、スマといっている例もある(
幸手
(
さって
)
方言集)。
食料名彙
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
幸手
(
さって
)
の堤の木立ちのかげに立ちどまって、じっと振りかえりながら待っていた源三郎。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
武州
岩槻
(
いわつき
)
からくる道と、千住からくる
葛飾
(
かつしか
)
の往還とが、ここで
一路
(
ひとつ
)
になって奥州街道となる
幸手
(
さって
)
の宿に入り込んだのは前の四人で、高野橋の袂、網屋という
旅籠
(
はたご
)
の一室に陣取り、川魚料理を
肴
(
さかな
)
に
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
行けば杉戸へ出るのでがす、その先はずッと
幸手
(
さって
)
まで宿屋がごぜえませんから、きっと夜道をかけるつもりでがしょう。そうすれば、なアにこんな
平街道
(
ひらかいどう
)
、とッとと走って行けば追いつきますわい
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あれからかけまして、
幸手
(
さって
)
の堤。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
西行を追って、なお書いて行くと、余りに横道へ
逸
(
そ
)
れるので、またひとまず、紙面で別れたが、西行の旅は、あれから武蔵国
葛飾郡
(
かつしかごおり
)
の、今の
幸手
(
さって
)
の辺にかかってゆく。そこで冬のころまで病に臥す。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“幸手(幸手市)”の解説
幸手市(さってし)は、埼玉県の東部に位置する市。人口は約5万人。1986年に市制施行した。
(出典:Wikipedia)
幸
常用漢字
小3
部首:⼲
8画
手
常用漢字
小1
部首:⼿
4画
“幸手”で始まる語句
幸手宿
幸手屋