幸手さって)” の例文
埼玉県の東部で幽霊花またはシンダモンバナ(『幸手さって方言誌』)。徳島県の方にもユウレングサまたはチャンチャンボなどという異名もある。
翌朝、幸手さってから栗橋にかかり、渡舟の上からながめると、両岸は眼のとどくかぎり掘りかえされて赤土原になり、一点、青いものも眼に入らない。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「大層長かった」間に荒療治はなし遂げられたにちがいない。仕方がないので伴蔵は大風雨の晩、幸手さって堤へ呼び出してとうとうおみねをバッサリ殺ってしまう。
翌三十日は粕壁、松戸を経て、幸手さってしゅくに入り、釜林という宿屋に泊まる。まことに気の長い道中である。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
江戸から二里で千住せんじゅ。おなじく二里で草加そうか。それからこし粕壁かすかべ幸手さってで、ゆうべは栗橋の泊り。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
幸手さっての網屋で今宵は別盃を酌もうと云い出し、抜け道をとってそっちへ廻った。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃訴訟のため度々たびたび上府した幸手さっての大百姓があって、或年財布を忘れて帰国したのを喜兵衛は大切に保管して、翌年再び上府した時、財布の縞柄しまがらから金の員数まで一々細かに尋ねた後に返した。
久「ヤアお内儀かみさま、大きに無沙汰を致しやした、ちょっくり来るのだアけど今ア荷い積んで幸手さってまで急いでゆくだから、寄っている訳にはいきましねえが、此間こないだ小遣こづかいを下さって有難うごぜえます」
現に埼玉県の東部農村には、小麦粉を取ったあとの糟を、スマといっている例もある(幸手さって方言集)。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
幸手さっての堤の木立ちのかげに立ちどまって、じっと振りかえりながら待っていた源三郎。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
武州岩槻いわつきからくる道と、千住からくる葛飾かつしかの往還とが、ここで一路ひとつになって奥州街道となる幸手さっての宿に入り込んだのは前の四人で、高野橋の袂、網屋という旅籠はたごの一室に陣取り、川魚料理をさかな
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行けば杉戸へ出るのでがす、その先はずッと幸手さってまで宿屋がごぜえませんから、きっと夜道をかけるつもりでがしょう。そうすれば、なアにこんな平街道ひらかいどう、とッとと走って行けば追いつきますわい
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あれからかけまして、幸手さっての堤。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
西行を追って、なお書いて行くと、余りに横道へれるので、またひとまず、紙面で別れたが、西行の旅は、あれから武蔵国葛飾郡かつしかごおりの、今の幸手さっての辺にかかってゆく。そこで冬のころまで病に臥す。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)