帶刀たいたう)” の例文
新字:帯刀
奈良屋三郎兵衞は五十五六、江戸の大町人で、苗字めうじ帶刀たいたうを許されて居るといふにしては、好々爺かう/\やといふ感じのする仁體でした。
分與わけあたへし所數月すげつ無實むじつの罪にて入らう致し居し段不便ふびん思召おぼしめされ且つ至孝の者に付苗字めうじ帶刀たいたう差許さしゆるす樣領主へ仰付らる之によつて村役の儀は前々之通り心得べし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
秤座役人は苗字めうじ帶刀たいたうを許され、僅少きんせうながら幕府の手當を受け、相當の見識も持つて居りますが、斯うなると町方の御用聞にすがる外はありません。
斯の如く賞罰しやうばつ夫々仰せ付られ其日のちやうはてにける之より傳吉夫婦は晴天白日せいてんはくじつの身となりしのみか領主りやうしゆより帶刀たいたう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「十二そうの近所に、楢井ならゐ山左衞門といふ大名主があるが、苗字めうじ帶刀たいたうまで許された家柄いへがらで、主人の山左衞門は三月ばかり前にポツクリ亡くなつた——」
返せし處は實に頼母敷たのもしき心底しんていなるが今のはなしの樣子やうすにては其大橋氏へ百兩の金が紛失ふんじつしたと言懸いひがかりし油屋の番頭こそ不屆ふとゞきなるやつなれ浪人しても帶刀たいたうする身が盜賊たうぞく惡名あくみやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
石川良右衞門は苗字めうじ帶刀たいたうを許された大町人で、五十前後の立派な仁體、これは武家の出だといふことで、進退動作何んとなく節度に叶つて居ります。
最近堀留ほりどめ穀物こくもつ問屋で、諸藩のお金御用も勤め苗字めうじ帶刀たいたうまで許されて居る、大川屋孫三郎が、全然新しく建てて寄進することになり、材木まで用意して
鈴川主水は、能役者とは言つても、苗字めうじ帶刀たいたうを許され、將軍の御前にまで出られる、立派な士分でした。今は浪々の身であつても、町方の御用聞に、かれこれ言はせないだけの見識はあつたのです。