家定いえさだ)” の例文
しかるに議論百出してその帰趨を知らず、且つ内は将軍〔徳川〕家定いえさだ襲職のために繁忙を極めて、確たる外交方針を定める暇がなかった。
十三代の将軍温恭院殿おんきょういんでん家定いえさだ)の御台所みだいどころは、薩摩の島津斉彬しまづなりあきらの娘さんであります。お輿入こしいれがあってから僅か三年に満たないうちに、将軍が亡くなりました。
七月二十二日に将軍家慶いえよしこうじた。年六十一である。その第三子家定いえさだが将軍の職を襲いだ。年三十二である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし、岩瀬肥後にとっては、彼が一生のつまずきになるほどの一大珍事が出来しゅったいした。十三代将軍(徳川家定いえさだ)は生来多病で、物言うことも滞りがちなくらいであった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「これは、寧子、おや屋の里方の叔父にあたる者。つまり当家の又右衛門どのの家内こひ女の兄、木下孫兵衛家定いえさだでござる。初めての御見ぎょけん、この後はわけても御昵懇ごじっこんに」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府は五月九日を以て、万石以下の士に甲冑かっちゅうの準備を令した。動員のそなえのない軍隊の腑甲斐ふがいなさがうかがわれる。新将軍家定いえさだもとにあって、この難局に当ったのは、柏軒、枳園らの主侯阿部正弘である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)