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天満橋
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てんまばし
ふりがな文庫
“
天満橋
(
てんまばし
)” の例文
旧字:
天滿橋
天満橋
(
てんまばし
)
も、
高麗橋
(
こうらいばし
)
も、
思案橋
(
しあんばし
)
も、舟の着く所は、
悉
(
ことごと
)
く、舟だった。船頭の叫びと、人々の
周章
(
あわ
)
てた声と、手足と、荷物と、怒りと、
喧嘩
(
けんか
)
とで充満していた。
近藤勇と科学
(新字新仮名)
/
直木三十五
(著)
大阪の東町奉行所は城の
京橋口
(
きやうばしぐち
)
の外、京橋
通
(
どほり
)
と
谷町
(
たにまち
)
との
角屋敷
(
かどやしき
)
で、
天満橋
(
てんまばし
)
の
南詰
(
みなみづめ
)
東側にあつた。東は城、西は谷町の通である。南の
島町通
(
しままちどほり
)
には街を隔てて
籾蔵
(
もみぐら
)
がある。
大塩平八郎
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
六波羅の軍勢四千と称するものが、尼ヶ崎、神崎、
柱松
(
はしらまつ
)
のあたりに着き、午ごろにはもう大江の
渡辺橋
(
わたなべばし
)
(現今の
天満橋
(
てんまばし
)
辺)の北岸にはチラチラ偵察の影などみせていた。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天満橋
(
てんまばし
)
までの切符を買ったものゝ、兎に角七八分休息した上、神経の鎮静するのを待とうと思って、力なくベンチへ腰を掛けたまゝ、私はぼんやりと、
乞食
(
こじき
)
のように大道を眺めて居た。
恐怖
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
喧しく云えば船を動かして、川を
上
(
のぼ
)
ったり
下
(
くだ
)
ったり、
川上
(
かわかみ
)
の天神橋、
天満橋
(
てんまばし
)
から、ズット
下
(
しも
)
の
玉江橋
(
たまえばし
)
辺まで、
上下
(
かみしも
)
に
迯
(
に
)
げて
廻
(
まわっ
)
て
遣
(
やっ
)
たことがある。その男は
中村恭安
(
なかむらきょうあん
)
と云う讃岐の
金比羅
(
こんぴら
)
の医者であった。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
▼ もっと見る
その男が、
天満橋
(
てんまばし
)
を北へ渡越した処で、
同伴
(
つれ
)
のものに聞いた。
南地心中
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
便所にゐた瀬田は
素足
(
すあし
)
で庭へ飛び出して、一本の梅の木を足場にして、奉行所の北側の
塀
(
へい
)
を乗り越した。そして
天満橋
(
てんまばし
)
を北へ渡つて、陰謀の首領
大塩平八郎
(
おほしほへいはちらう
)
の家へ
奔
(
はし
)
つた。
大塩平八郎
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
“天満橋”の解説
天満橋(てんまばし)は、大阪府大阪市を流れる大川に架けられた橋。または、同市北区の町名。現行行政地名は天満橋一丁目から三丁目まで。他に、天満橋南詰周辺の地域名でもある。
(出典:Wikipedia)
天
常用漢字
小1
部首:⼤
4画
満
常用漢字
小4
部首:⽔
12画
橋
常用漢字
小3
部首:⽊
16画
“天満橋”で始まる語句
天満橋筋
天満橋北詰
天満橋太兵衛殺