図会ずえ)” の例文
わたしが新曲に取用いようと思い定めた題材は『江戸名所図会ずえ』に記載せられた浅草橋場采女塚あさくさはしばうねめづかの故事遊女采女が自害の事であった。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あの黒い小さな屋根の下で愛して頂戴ねと女給たちが歌っているのかと思うと不思議なくらいの名所図会ずえ的情景である。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
日本橋通り一丁目の須原屋茂兵衛すはらやもへえの出版した『江戸名所図会ずえ』を専門にった人で、奥村藤兵衛さんのせがれの藤次郎さん、……これがその東雲という方なんで
これを美化すれば大磯の虎ともなり、詩化すれば関の小万ともなる。東海道名所図会ずえの第五巻に記していわ
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
吾山の『物類称呼』を見ても、稲扱きを畿内きないではゴケタフシ、越後えちごではゴケナカセと謂うとある。その説明は『和漢三才図会ずえ』に出ているのが最も要領を得ている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
小説の史跡を論ずるのは極楽の名所図会ずえや竜宮の案内記を書くようなものだが、現にお里の釣瓶鮨つるべずしのあとも今なお連綿として残り、樋口の十郎兼光の逆櫓さかろの松も栄え
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
余談にわたりますが、その後『江戸名所図会ずえ』を描いた長谷川雪旦はせがわせったんが、ここのお茶屋で風景を写生して、謀反人と間違えられた——などという話の伝わっているところです。
太田道灌の「富士の高根を軒端にぞ見る」という歌は、余りに言い古されているとしても、江戸から富士を切り捨てた絵本や、錦絵にしきえや、名所図会ずえが、いまだかつて存在したであろうか。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
元八幡宮のことは『江戸名所図会ずえ』、『葛西志かさいし』、及び風俗画報『東京近郊名所図会』等の諸書につまびらかである。
元八まん (新字新仮名) / 永井荷風(著)
綺堂先生が風邪かなんかでふせっていた時、退屈のあまり、『江戸名所図会ずえ』をひもといていて、フトこれを舞台に、江戸末期の風物詩的な捕物を書いて見ようと思い付いたということである。
日野の渡しの渡し守の小屋は、江戸名所図会ずえにある通りの天地根元造りです。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
天明七年北尾政美が絵本『名所鑑』はこの種類中の先駆にして安政三年広重の描ける『狂歌江戸名所図会ずえ』はその最終のもののうち最も見るべきものなるべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と言ってみたが、あいにく、ここにはその燕石雑志もない、三才図会ずえもない、どうも、この牛売リ損ネタ実例の出典に思い悩んでみても当りがつかないのであります。ついに神尾は一応断念して
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
委細は『風俗画報新撰東京名所図会ずえ』第三十五編に詳である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「米沢の吾妻山なんて名乗っても、米沢だけの天地では通るかも知れんが、他国の人に名乗り聞かせる場合には通らない、出羽の米沢の、謙信公の上杉家の、その家中の、何のなにがしと、お名乗りなさい、吾妻山なんていう山は名山図会ずえの中には無い」
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
『尾張名所図会ずえ』後篇巻の七丹羽郡のくだりには
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)